昨日(2013年8月18日)大学サッカーの総理大臣杯で流通経済大学(以下流経大)優勝した。今でこそ流経大は大学サッカーの名門として(ロンドン五輪の柔道日本代表の選手にも流経大にいた)全国にその名を轟かすができた当初は問題だらけのチームだったと言う。流経大のサッカー部が正式に始動したのは1998年だったという。それまでの流経大と言うのは一般生徒がコンパで自分の大学名(流経大)というのを言いたくなくて、それで大学本部がスポーツ大学でもいいから大学サッカーの強化に乗り出したという。そこで強化の白羽の矢がたったのが中野雄二監督だったという。元々水戸短大付属(現・水戸啓明)や水戸ホーリーホックなど新設チームの強化には定評があった中野監督はこのオファーを快諾したが最初の頃の流経大サッカー部は酷かったという。派手な髪の色、バイトだコンパだと言って練習に来ない、スポーツ選手なのに喫煙、改造車を乗り回すととても後の強豪になる要素は見られなかった。それでも中野監督は一度は関東大学リーグに昇格したが部員が喫煙を止めずまた県リーグに逆戻りになった。しかし中野監督は県リーグ時代に流経大サッカー部に鉄筋の寮(2002年)を作り、その後もバスでの団体行動、人工芝のグラウンドやナイター設備も完備した練習施設(2005年)も作り、ハード面を見に見学に来るJ関係者も羨む環境を手に入れた。それでも喫煙を止めない部員の煙草の吸殻を中野監督が徹底的に掃除して、部員も喫煙を止めたという。こうしたハードの環境もソフトの部分も中野監督が粘り強い努力と交渉によって手に入れることができたという(寮は大学とサッカー部が2億円を連帯保証人になって完成させたと言う)。近年地味な努力を軽く見る風潮があるが流経大サッカー部の強化は地味な努力の積み重ねが生んだものだと言う。こうした地道な努力が後のJリーガー養成道場、流経大サッカー部になったという。
参考文献 Sport Management Review 2008 vol.9
「なぜ流通経済大学サッカー部はプロ選手を輩出し続けるのか?」(秋元大輔著 東邦出版 2012年)
参考文献 Sport Management Review 2008 vol.9
「なぜ流通経済大学サッカー部はプロ選手を輩出し続けるのか?」(秋元大輔著 東邦出版 2012年)