先週の月曜日、住吉美紀のBlue Ocean を聞いていたらその前日に行われた参院選で当選した山本太郎氏が電話インタビューに答えていた。山本氏は基本的に原発問題から政治活動を始めた人物だが彼が選挙期間中、街頭演説をしていると山本氏曰く「本当は働きたいけど労働環境が劇烈な悪化により精神を患い働けなくなってしまった。」という話をしていた。そこから山本氏は原発問題も重要だが労働環境の改善も考えなければいけないとおっしゃっていた。山本氏の言葉を借りるまでもなく、現在の日本の雇用環境の悪化は深刻である。本来最も守られなくてはならない労働者が経済的合理性や利潤のために犠牲になっている感はある。本当は働きたい。社会の一員として労働活動したいと思ってもまるで奴隷のような労働環境で使えなくなったら、味の無くなったガムを捨てるように労働者を使い捨てにする。そんな労働環境を作っておいて、あたかも雇い主は自分が被害者のように「少子化は政治が悪い。」と言い張る。勿論まっとうな雇い主もいるだろうがこんな労働環境を作っておいて子供が増えるわけが無いのである。一方、結構前だが総武線各駅停車(黄色い電車)を乗っていた時、両国駅であるおばさんがいきなり「ニートだってからかうな!私だって親の介護で大変なんだから!」と独り言でぶちギレしていた。隣のサラリーマンが「私は何も言っていないです。(事実誰も何も言っていない)」と答えたらそのおばさんは駅へ降りて行った。はっきり言って危ないおばさんであったがその一方で相当ストレスを溜め込んでいるなと思った。親の介護の上にそういった心無い輩の始末に負えない誹謗中傷で苦しんでいたんだと感じた。このブログで雇用の重要性について色々述べてきたが、経済的合理性のみを追及し労働者の尊厳を無視した現在の雇用ではある意味少子化は必然的であるし、労働環境の悪化や親の介護により働けなくなった方々をニートと差別する今の言論界もいかがなものかと思う。以前漫画家の蛭子能収氏が「こんなオレでも働けた」(2007年 講談社)で「お金というものは生きている人間が楽しく暮らすために使うものだ。そのお金に振り回されるなんてナンセンスだと思う。」と言っていたが経済的合理性のみを追及した現在の労働環境は雇い主本人を破綻させるものだと筆者(不器用貧乏)は考えている。