冒頭のタイトルは野球の野村克也監督の言葉である。元々選挙の言葉らしいが本質を得た言葉である。筆者(不器用貧乏)がファンであるボクサーで藤本京太郎というボクサーがいる。京太郎は昨年の大晦日、東洋のヘビー級タイトルに挑戦し完敗したそうである。その試合が予定が取れない大晦日の上に会場が大阪だったので試合そのものは見てはいないのだが、試合を見た人が言うには「京太郎は良いところが全くなかった。」と口を揃えて言っていた。以前読んだサム・シェリダンの「ファイターズ・ハート」(2008年 白水社 伊達淳訳)で試合に負けた総合格闘家に対してトレーナーが
「あいつも認めるところは認めないとな。今回のことで自分が無敵なんかじゃないということを思い知っただろう。どんなファイターでもキャリアを積んでいく中でも経験することだ。圧勝することなどとても望めない相手とやらなきゃならない日が必ず来る。それでも戦わないといけないんだ。ロビー(負けた選手)はそこでちょっとつまずいてしまったわけだが、そんなことは誰にでもあることだ。そこを知ればあいつはもっと強くなるさ」とあった。総合格闘家でもボクサーでも同じである。負けを知ることで地金をつけるというかある種の粘り強さが出るというか、本当の意味での強さが出てくるように思える。格闘技(個人競技)だけでなく野球やサッカーのような集団競技の球技でも同じのように思える。負けるのは本当に悔しくて腸(はらわた)が煮え繰り返ることだがそこから真のレベルアップができると筆者は感じている。