今自分は近所の公園をジョギングしている。この公園をジョギングしているとトランペットの音色が聞こえてくる。そのトランペットを練習しているのは40代から50代のおじさんである。正直にいってそのおじさんのトランペットの演奏能力は拙い。しかし筆者(不器用貧乏)はそのおじさんのトランペットの音色を聞くのがそんなに嫌ではない。そりゃ音楽の演奏力は達者な方がいいし、その演奏を金を払って聞けというならまた話は別なのだが、無料で聞く分にはその拙いトランペットを聞くのは嫌ではない。なぜならそのおじさんはトランペットを弾けるようになるには練習するしかないということを身を持って知っているのである。トランペットを弾けるには楽な方法なんて無い。弾けるようになるには練習あるのみ、ということを知っているからである。今楽器の演奏でも語学でも楽して何でもできるような風潮があるのだが実際に語学でもトランペット(他の楽器でも)でも楽してできる方法なんて無いのである。楽してできるものなんて無いし、あってもつまらないものである。筆者(不器用貧乏)は楽器は全くできないので、そのトランペットのおじさんを無条件に凄いと思ってしまうのだが、以前のブログ「アイデアは金になるが、金でアイデアは買えない。」ではないが、金で高いトランペットは買えるが、トランペットを演奏する能力までは買えない、ということをそのトランペットの練習しているおじさんは知っているのである。だから筆者はその拙いトランペットを聞くのが嫌ではないのである。語学もジョギングも楽器もできるようになるのに王道はないのである。ただ練習あるのみである。