先日以前から筆者が韓国語の勉強に定期購読していた韓国語ジャーナルの最終号を読んだ。そこで韓国在住経験のある女子アナの記事があった。今韓国では高学歴でTOEICで900点取っても就職できないという。これは韓国だけではなく日本や中華圏の他の東アジアの儒教圏でも同様のことのように思える(いずれまた書きたいが東アジアの儒教圏は自殺率も高い)。東アジアの儒教圏の教育というのは与えられた問いに、制限時間内にどれだけ丸暗記したことを書き込めるか、という教育である。しかし繰り返すように現代の機械工学の進歩により事務処理能力はコンピューターの方がいいのである。韓国でも日本でもそうだが課題や問題というのは絶対的に偉い人から与えられるものではなく、自分で探しだすものである。とかく日本人は絶対的に偉い人に対して思考停止したがる傾向がある。しかし雇用すなわち自分で自分の仕事を探しだすのに重要なのは偉い人の前で思考停止するのではなく、自分の頭の中で今ある情報や知識の中で自分の思考を推し進めて自分の人生の解を導き出すことである。現代の先進国の企業において最も必要とされている人材は丸暗記したことを答えられる人間ではなく、卓越したアイデアを出せる人材である。東アジアの儒教圏の教育は丸暗記の時点で止まっている。それでは企業に需要が無くて当たり前である。どうやってこれからの日本社会は自分達の社会の中で問いに対して正解に近い解を出せるかである。そこに雇用の有無が眠っているように思える。