最近自分はスポーツ本をよく読むが、国家間の争い事としてスポーツと戦争を並列する人がいるが、気持ちはわからないでもないがそれは少し安直な気がする。確かに1936年のベルリン五輪の時はナチスドイツが国威高揚の為にオリンピックを利用したと言うし(この大会で男子マラソンで孫基禎[ソン・ギジョン]が韓国人ながら日本代表として金メダルをとって韓国人にとって国辱となる事件もあった。)、1980年にはモスクワ五輪で本来、スポーツと政治活動は別なのに日本を含む西側諸国は五輪をボイコットした。こうやってスポーツと現代史を見比べてもスポーツは確かに政治と繋がりがない訳ではない。

しかしそれでも戦争とスポーツを一緒にするのは安直である。スポーツとは全く関係ない漫画ではあるが、「勇午」という交渉人の漫画で主人公・別府勇午がロシアに交渉する時、ロシア人から煙草を貰うシーンがある。勇午曰く「煙草の箱の開け方で軍隊経験者か民間人かわかる。民間人はフィルターの方から箱を開けるが、軍人は逆側(煙草の先端)から開ける。」といい、なぜそんな開け方なんだと聞かれると勇午は「戦場にトイレットペーパーはないからね。」という言葉をポツリといった。(この漫画はスポーツ漫画では全くないが)野球場やサッカースタジアムにはトイレがあってトイレットペーパーも当然完備されているが、当たり前だが戦場にトイレットペーパーはないのである。これだけでもスポーツと戦争は全く違うものだというのがわかる。

ボクシングの審判にガーナ出身のビニー・マーチンという方がいる。マーチン氏は日本のボクシングの中でも特にストップが早い審判というが何故そんなに試合を早くストップするのかという問いに「ボクシングはスポーツ。単なる殺し合いではない。」という言葉が心に残っている。死者の数で悲しみを量るのは愚かなのは重々承知だが、アフリカでは内戦で何千人という罪のない人が亡くなっている。戦争をリアルに感じているから戦争とスポーツは違うものだとマーチン氏はいいたいのだろう。自分も戦争は知らないが戦争とスポーツは断じて違うといいたい。