先日もヨーロッパの傭兵について少しブログの記事を書いたが、昔の中世ヨーロッパというのは本当に苦しい時代だったという話を聞いたことがある。その本がどんな本だったかは忘れたがとにかく中世という苦々しい時代に終わりにしたいと、ピリオドを打とうとしていたのを覚えている。確かにヨーロッパでは13世紀末から15世紀末までにイタリアでルネサンスが起こり文化が栄えたが、その一方で14世紀にはペストが猛威を振るい人口が著しく減少した。その他、1077年のカノッサの屈辱でヨーロッパの諸侯よりローマ法王のほうが偉くなったため、宗教界は免罪符を売って宗教でお金儲けしようとして堕落してしまった。ヨーロッパの諸侯も領土欲を持って戦争を起こし、国民に重税を課した。
そういった救いのないような中世の世の中に当時の宗教界や世間を風刺するような演劇や小説が生まれたのである。いまでこそ演劇も小説もメインカルチャーだが、恐らく当時は(特に宗教界にとっては)考えられないようなサブカルチャーだったのだろう。「自分の演劇(小説)ができれば、自分の人生くれてやる。」というような当時の中世ヨーロッパの中でもアウトローな人達の最初は野蛮な表現の手段が、徐々に洗練されて一般のメインカルチャーになっていったのである。
一方で日本の90年代(ロスジェネ初期)も同じである。潰れるはずがない金融機関がどんどん倒産し、苦しい思いをして勝ち抜いていった受験競争で名門大学に入っても就職できず、政治は長く迷走していた。雇用も保証されずにリストラも進み、自殺率は高くなった。
そんなどうしようもない時代だったからこそ日本のサブカルチャーは繁栄していった。漫画アニメなどもそうだが、国内の経済的衰退とソフト産業の進行による文化的発展はさっきの中世ヨーロッパではないが、一種のバーター(物々交換)のような関係にある。当時ごみ屑のように扱われていた漫画やポップスに対して「自分の漫画(音楽)ができれば自分の人生くれてやる。」といったある意味野蛮だった表現の手段が、90年代という時代を越えて脱皮するようにメインカルチャーに進行するようになったのである。
イギリス人ジャーナリストのコリン・ジョイス氏はビールとサッカーについてビールは規制緩和により、サッカーはJリーグの発展により、90年代は失われなかった十年といっている。(ちなみに筆者は下戸である。サッカーについては筆者・不器用貧乏のブログの2013年6月18日の記事「ドーハとジョホールバル」にも関連記事あり)
中世ヨーロッパでも90年代の日本でも生きるのが苦しく辛い時期だからこそ、サブカルというソフト産業は発展するのである。
参考文献 「ニッポン社会」入門 (コリン・ジョイス著 日本放送出版協会 生活人新書 2006年)
そういった救いのないような中世の世の中に当時の宗教界や世間を風刺するような演劇や小説が生まれたのである。いまでこそ演劇も小説もメインカルチャーだが、恐らく当時は(特に宗教界にとっては)考えられないようなサブカルチャーだったのだろう。「自分の演劇(小説)ができれば、自分の人生くれてやる。」というような当時の中世ヨーロッパの中でもアウトローな人達の最初は野蛮な表現の手段が、徐々に洗練されて一般のメインカルチャーになっていったのである。
一方で日本の90年代(ロスジェネ初期)も同じである。潰れるはずがない金融機関がどんどん倒産し、苦しい思いをして勝ち抜いていった受験競争で名門大学に入っても就職できず、政治は長く迷走していた。雇用も保証されずにリストラも進み、自殺率は高くなった。
そんなどうしようもない時代だったからこそ日本のサブカルチャーは繁栄していった。漫画アニメなどもそうだが、国内の経済的衰退とソフト産業の進行による文化的発展はさっきの中世ヨーロッパではないが、一種のバーター(物々交換)のような関係にある。当時ごみ屑のように扱われていた漫画やポップスに対して「自分の漫画(音楽)ができれば自分の人生くれてやる。」といったある意味野蛮だった表現の手段が、90年代という時代を越えて脱皮するようにメインカルチャーに進行するようになったのである。
イギリス人ジャーナリストのコリン・ジョイス氏はビールとサッカーについてビールは規制緩和により、サッカーはJリーグの発展により、90年代は失われなかった十年といっている。(ちなみに筆者は下戸である。サッカーについては筆者・不器用貧乏のブログの2013年6月18日の記事「ドーハとジョホールバル」にも関連記事あり)
中世ヨーロッパでも90年代の日本でも生きるのが苦しく辛い時期だからこそ、サブカルというソフト産業は発展するのである。
参考文献 「ニッポン社会」入門 (コリン・ジョイス著 日本放送出版協会 生活人新書 2006年)