結構前の話になるが、去年(2012年)の夏場所で旭天鵬が優勝した。このことから色々なことが分かる。
まず日本の相撲という国技で、モンゴル人平幕力士が「普通に」優勝するようになったこと。日本の国技の中で最も強いのは、最早日本人ではなくモンゴル人であることである(旭天鵬は既に日本に帰化しているがモンゴル出身ということで)。
次に言える事は相撲の世界の絶対的な地位の低下である。本来相撲の世界で三役から上は絶対的な存在であったはずである。しかし旭天鵬と当時、優勝を争ったのは同じ平幕の栃煌山であった。三役の力士が争うはずの優勝が平幕力士同士で争うというのは、相撲において三役から上の絶対的ヒエラルキーの低下を意味している(旭天鵬の優勝は尊敬に値することでありケチをつける気は無いが)。
最後に、これが最も強く感じたことだが、以前自分が格闘技を全く理解していない頃「何故力士は人間としても、競技者としてもあれだけ短命なのだろうか?」と言ったら相撲通の母に「あんな俊敏な動きが肝の格闘技が長持ちする訳ないでしょ!」と、言われた。その後自分がボクシングの資料を整理していた時に、ボクサーの選手寿命に対して、スピードすなわちサッカーで言う敏捷性(アジリティー)が肝の軽量級のそれは短く、パワーが肝の重量級の選手寿命は長い。ジョージ・フォアマンがカムバック後、45才で当時の世界最高齢で世界タイトルをとり、「老いは恥ではない。」という名言をのこしたが、彼の階級はパワーが重視される選手寿命が長く、長持ちしやすいヘビー級の選手である(しかし一方でフォアマンもまた凄いのは確かだが)。だから母の言っていた敏捷性の強い格闘家(軽量級ボクサーや力士)は本来選手寿命は短いものだったのである。
しかし旭天鵬は37才(当時)で最高齢の幕内総合優勝したのである。37才で幕内力士をやっているだけでも偉業なのに、優勝という更に凄い偉業をやってのける旭天鵬に敬意を抱く他ない。
37才の平幕力士が優勝するということに関し、もうひとつ思った事は、これからの日本社会で生きる人々は、皆どんどん長寿になっていくのではないかということである。昔「はじめの一歩」というボクシング漫画で伊達というボクサーが「俺ももう29だ。回り道できない。」というシーンがあったが、今の社会で29才は若者の部類に入る。日本人全体がこれから長寿になっていくのであろう。結構前の話ではあるが去年の旭天鵬の優勝を見て、こういうことを考えていた。