突然だが、人間社会にとって雇用というのが一番重要な問題のように感じる。
一時期ヨーロッパで「フーリガン」と呼ばれる人達がサッカースタジアムの観客席にいるのを覚えている(今や懐かしい響きだ)。最近のヨーロッパのスタジアムは、そういった人々を排除して最近はあまり聞かなくなった。ただ何故彼らはスタジアムで騒いでいたかというと、根底にはヨーロッパ社会の慢性的な失業率の高止まり(特に若年層)がある。以前からヨーロッパでは若年層に仕事の口(くち)が少なかったのである。雇用のあるなしは、人間の尊厳に直結する。仕事が無くて自分達の社会に不満がある若者が、当時のヨーロッパのサッカースタジアムで騒いで暴れていたのである。
最近はヨーロッパもスタジアムは清潔になって、そういった人々はいなくなったらしいがヨーロッパの失業問題が改善された訳ではない。むしろ課題は顕在化している。R25の2012年7月5日号だと24才以下の若年層の失業率はフランスは22%、イギリスは19%、ギリシャやスペインでは50%を越えると言う。当時のフーリガンと言う人達の言葉の裏にはヨーロッパの失業問題が内包されていたのである(それは現在進行形の問題である)。
一方で、昨年(2012年)は日中国交正常化40周年であったが同時に日中間の国交の摩擦の年でもあった。昨年のテレビ東京の「ガイアの夜明け」で反日デモの密着取材の番組があった。中国中央部の都市の日系スーパーで暴動や略奪があった。スーパーの日本人幹部と地元警察が防犯カメラで略奪の犯人の顔写真を写して、翌日の新聞に載せたところ自首してくる者が複数出てきた。彼らの経歴を聞いて見ると大半は無職であったと言う。勿論暴動や略奪と言う行為は許されるものではないし腹も立つ。しかし一方で「やっぱり」とも思った。反日デモに対しても、日本がどうこう中国がどうこうというより、中国国内の雇用の悪化に対して日中関係がスケープゴートになった感じがある。
以前2013年6月17日の筆者のブログの「もったいない」で合理化中心の世の中に疑問を感じていた文章を書いていたが、それは何も日本だけに限らず、ヨーロッパや中国でも同じでそれぞれの社会で合理化と雇用のバランスを考える必要があると思う。
一時期ヨーロッパで「フーリガン」と呼ばれる人達がサッカースタジアムの観客席にいるのを覚えている(今や懐かしい響きだ)。最近のヨーロッパのスタジアムは、そういった人々を排除して最近はあまり聞かなくなった。ただ何故彼らはスタジアムで騒いでいたかというと、根底にはヨーロッパ社会の慢性的な失業率の高止まり(特に若年層)がある。以前からヨーロッパでは若年層に仕事の口(くち)が少なかったのである。雇用のあるなしは、人間の尊厳に直結する。仕事が無くて自分達の社会に不満がある若者が、当時のヨーロッパのサッカースタジアムで騒いで暴れていたのである。
最近はヨーロッパもスタジアムは清潔になって、そういった人々はいなくなったらしいがヨーロッパの失業問題が改善された訳ではない。むしろ課題は顕在化している。R25の2012年7月5日号だと24才以下の若年層の失業率はフランスは22%、イギリスは19%、ギリシャやスペインでは50%を越えると言う。当時のフーリガンと言う人達の言葉の裏にはヨーロッパの失業問題が内包されていたのである(それは現在進行形の問題である)。
一方で、昨年(2012年)は日中国交正常化40周年であったが同時に日中間の国交の摩擦の年でもあった。昨年のテレビ東京の「ガイアの夜明け」で反日デモの密着取材の番組があった。中国中央部の都市の日系スーパーで暴動や略奪があった。スーパーの日本人幹部と地元警察が防犯カメラで略奪の犯人の顔写真を写して、翌日の新聞に載せたところ自首してくる者が複数出てきた。彼らの経歴を聞いて見ると大半は無職であったと言う。勿論暴動や略奪と言う行為は許されるものではないし腹も立つ。しかし一方で「やっぱり」とも思った。反日デモに対しても、日本がどうこう中国がどうこうというより、中国国内の雇用の悪化に対して日中関係がスケープゴートになった感じがある。
以前2013年6月17日の筆者のブログの「もったいない」で合理化中心の世の中に疑問を感じていた文章を書いていたが、それは何も日本だけに限らず、ヨーロッパや中国でも同じでそれぞれの社会で合理化と雇用のバランスを考える必要があると思う。