モハメッド・アリと野茂英雄。この2人に被るところがある。
アリはそれまでのボクシングでは、足を止めて殴りあうのが当時のボクシングの基本だったのが、アリはそこにフットワークという新しい概念を取り入れた。野球の変化球やサッカーの戦術のように、ボクシングの闘い方にもトレンドが導入された。また「蝶のように舞い、蜂のように刺す。」というように伊達を切るというかメディア受けする言葉も言い、プロボクサーというよりプロレスラーのイメージがある。
しかしアリの存在を変えたのはやはり1965年のベトナム戦争である。当時の同年代の若者が皆戦場(ベトナム)に行ったのに対し、アリは「俺はベトナムには行かない。なぜならベトナム人は黒人を差別しないからだ。」といい、徴兵拒否、収監、王座剥奪、ブランクとなった。おそらく60年代後半のメディアはアリを叩いただろう。
しかし、70年代に入りベトナム戦争が泥沼化し米国内でも厭戦ムードが高まり、またアリがカムバック後タイトルを取るとアメリカでのアリに対する考え方が変わってきた。「アリの行動は実は間違ってなかったのでは?」と。そうしてアリはスポーツや政治といった様々な範疇を越えた本物のカリスマになった。
一方で野茂英雄がアメリカにいった時のことは覚えている。90年代野茂は当時在籍していた日本の球団と交渉が決裂し、ロサンゼルスドジャースに入団したのである。当時筆者は高校生でそのことをよく覚えているが、日本の野球関係者は野茂のことを「逃げ」、「甘え」、「現実逃避」、「日本人がメジャーに通用するはずがない」といって野茂の成功を誰もが否定していた。
しかし野茂は当時のMLBでは少なかったフォークボールの使い手と言うこともあり、野茂はアメリカのマウンドで三振の山を築き、日本の野球関係者を実力で黙らせた。
アリにしても野茂にしても一つ共通するのは時代の空気よりも自分の信念を優先させたことである。以前、小説家の石田衣良が「物事、時代の流れと逆のことをやればうまくいく。」といっていたがまさにその通りだ。時代の空気におもねるのではなく、自分のやりたいことややるべきことをしっかりやる。そうすれば自ずと結果はついてくる。時代の空気ばかり考えていてはいけないのである。