今日は終戦記念日なんですね。
私はもちろん、私の両親も戦後生まれなので、戦争は体験していません。
私の父と20近くも年が離れている父のお兄さん二人は、戦争経験者です。
経験どころか、一番上のお兄さんは特攻隊隊員でした。
この話は、5年前頃、おじの癌が発覚し、両親とお見舞いにいったときに、「今まで話したことなかったけど、みんなが集まるのはこれが最後かも知れん」といって、ほかの父の兄弟や、おじの家族の前ではじめて話してくれた話です。
このおじが特攻隊員で出撃したのは、10代後半。
学校に兵隊さんが来て、学校から特攻隊員を2名出すようお達しが来たそうですが、誰も立候補しなかったそうです。
結局、そのうちの一人に「立候補した」としておじが選ばれたんだそうです。
地元を経つ日、見送りに来たたくさんの人のまで挨拶するのに、背が低かったおじのために、祖母がみかん箱を用意してくれて、その上に立って挨拶したんだとか。
関西から遠く離れた九州から、爆弾を積まない飛行機で、ただ体当たりするためだけに、実際におじは出撃していますが、途中、飛行機の故障でとある島に漂着したんだそうです。
それからしばらくの間、終戦を知らないまま、ずっと身をひそめてひたんだとか。
途中、何回も、空から、「日本は戦争に負けたので降伏して出てきなさい」と書いたビラが降ってきたそうですが、敵の罠だと思って隠れていたらしいです。
それから、捕虜として捕まり、数年抑留されたあと、無事ふるさとに帰ってきた時は、死んだものとして、戸籍が抹消されていて、この戸籍を取り戻すのに、また数年かかったそうです。
久しぶりに帰ってきた我が家に、見知らぬ赤ちゃんがいた(私の父)ことが、なによりも一番びっくりしたんだとか(笑)
その後は、プロゴルファーになったり、カラオケ教室の先生になったり、お祝いの席では常に白いタキシード姿で、私が物心ついたときには、すっかりユニークなおっちゃんだったおじさん。
この話を聞いた時は、親族みんな驚きました。
おじとしては、思い出すのが辛くてずっと忘れようと思ったけど、もう先がないかもしれない今、「戦争は絶対あかん!良いことなんて一つもあらへんってことをお前らに伝えるのが、俺の最後の仕事やと思たんや」、と言っていました。
長い長い時間をかけて、死ぬ前にやっと話す決意ができたって、どれだけの壮絶な体験をしたんだろう、とそれを考えるだけで胸が苦しくなりました。
癌だったけど、私の結婚式にも、やっぱり白いタキシードを着て誰よりも目立って、お祝いにかけつけてくれました。
おととしに亡くなってしまったけど、白いタキシードおじさんの「戦争は絶対にあかん」という言葉はずっと心に残っています。
