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旅日記が中断してる中、違うお話です。。![]()
今日10月11日は母の命日、七回忌と言う年でもあります。。
ほんとは7日に法事の予定だったんだけど、
娘が来月帰ってくるので、そのあとにしようってことで、
11月11日に七回忌を行うことにしました。。
その11月11日が偶然にも父の命日なんです。。
昨年23回忌だっんだけど、今年母の法事と一緒に、
ついでに拝んでもらったらいいか・・なんて![]()
(お父さんごめんなさい
)
これは偶然のお話しですね![]()
さて本題です。。
母が亡くなる1週間前に危篤の電話が入り、すぐに駆けつけました。。
病院は仕事場からほんの5分の所。。
私が駆けつけた時には4人部屋から個室に移されるところで、
ゆっくりとお別れが出来るようにとの計らいでした。。
それから2日、3日・・意識が回復しない状況が続き、
私は仕事を休み、ずっと泊り込んで付き添っていました。。
母はマラソンをしているような呼吸をずっとしていて、
見ているのも辛く、5日目位には「もう良いよ・・」
「もう逝っても良いよ・・」って・・
その日看護師さんが先生に、長期戦になるかもしれないから、
病室を移りましょうか?・・って話しました。。
でも先生は「この状況での長期はあり得ない」と・・
その日私は何気なく思った事がありました。。
もしかして誰かが引き止めてる!?
この個室で亡くなった人はたくさん居るだろうし・・
そして前から気になってた病室の鏡と窓。。
窓は台に上らないと届かない高い位置にあり、
その向かいに鏡がありました。。
もしかして通り道?
誰か逝くのを邪魔してる?
引き止められてる?
次の日、半紙に塩を包み部屋の四隅に置きました。。
私は何となく最後の夜になるような気がして、
母と一緒にベッドに寝て、ずっと泣いてました。。
この数日で一番泣いたかも知れないです。。
そして朝6時半頃、
血圧計の数字が狂ったように変動し始めました。。
亡くなる直前はこうなるって聞いてたし、
看護師さんから家族に知らせるように言われたので、
みんなで看取ることが出来ました。。
もちろん母が亡くなったのは悲しかったんですが、
(やっと逝けたんやね)って気持ちもありました。。
偶然のことかも知れないですが、
きっと誰かに邪魔されてた気がします。。
でももしかしたら11日を目指してたのかな。。
あと1ヶ月後だったら父と同じだったのに・・
色んなことが想像できますが、
亡くなったのは11日なので、
過去帳
 には父と母の名前が並んで記されています。。![]()
ちょっと不思議な、でもちょっと怖い出来事でした。。
今日は写真なしですが、
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次回は旅日記を再開します
