maruは2歳11か月の時に自閉スペクトラム症と診断を受けました。


受診までのザックリとした流れを先に話すと、

 

①親(私)がmaruの発達の遅れや息子の独特さに違和感を覚える。

②一歳半検診で引っかかり発達支援センターを紹介される。

③2歳から発達支援センターの療育に通う。

④2歳半頃、私が発達検査に興味を持ち発達支援センターに相談。検査は児相か専門の病院で受けられること、児相では診断はつかないこと、受けるなら自分で各所に電話して予約することを教えてもらう。


⑤病院に予約を入れる(診察まで4か月待ち)

⑥2歳11か月の時に新版K式発達検査を受け『自閉スペクトラム症』と診断を受ける。


 

こんな感じです。



①の違和感について詳しく話すと、

出産前:

医師から頭が少し大きいと言われる。妊娠20週頃からBPDだけ実際の週数+2週分くらいあった(FL、ACは平均より小さかった)。出産間近のエコー写真には1.6~2.0SDと記載あり。

 

産後:

全体的に体の発達が遅い。

首すわり:6か月

ズリバイ:9か月

お座り、ハイハイ:11か月

一人歩き:15か月

 

ここまでは発達の遅れは気になりつつも、一人目の子供だったこともあり『違和感』までは感じていませんした。


この頃ちょうどコロナ渦で私が2人目を妊娠中だったこともあり、同年代の子達と遊ぶ機会がほぼありませんでした。もしmaruが2人目の子だったら、もし同年代の子と遊ぶ機会があったなら、もっと早く違和感に気付けていたと思います。


実際、私が違和感を覚えたのは1歳半近くだったかと思います。


きっかけは一歳半検診の検査項目を事前にネットで調べていた時です。


『指差しができるか』という項目が目に入り、maruが一切やらないことが気にかかりました。

その頃のmaruはこんな感じでした。↓



・発語ゼロ

・指差しを一切しない(要求、共感、応答の指差し全てやらず)

・親が指さした方向を見ない

・名前を呼んでも反応しない

・目が合いづらい



1歳半検診でやはりこの部分がひっかかり、発達支援センターを紹介され2歳になっても発語がなかったことから療育に通うことが決まりました。(この頃、要求の指差しはちらほら出ていました)


この頃から2歳11か月で診断を受けるまではネットで毎日のようにmaruの自閉症の可能性について調べたり、指差しや発語は遅かったけど定型発達だった子はいないかと、SNSをサーチしまくってました。


ハッキリしないモヤモヤが苦しくて、こんなことに意味がないことは分かりつつも毎日毎日調べずにはいられませんでした。

 

診断を受けてからは憑き物が落ちたかのように調べることをやめました。

インスタで登録していたハッシュタグの♯〇か月とか♯〇歳とかを全て消して、育児書の年齢に応じたページを見ることも辞めました。


決して投げやりになったわけではなく、自分でも驚くほどあっさりと息子の障害を受け入れることができました。同時にもう誰かと比較することに意味がないことも受け入れられました。


ただ診断を受けただけで、maru自身が変わったことなど何一つないのに本当に不思議です。あの時気持ちがスッと切り替わって、『自閉症であるmaruにこれから何をしてあげたらよいのか』ということに意識が向くようになりました。


私が診断を受けてもあまりに平気そうにしているので、療育先の先生に逆に心配されるほどでした笑。


それからはmaruのためになれば、と療育に加えてプレ幼稚園にも通い始めました。

(田舎なのでこれくらいしか選択肢がなく、、この話はまた後日、、)


maruは成長とともに出来ることも増えましたが困った部分も出てき始め、、悩みは尽きません。上の文章で誰かと比較することに意味がないことを受け入れた、とは書きましたが、ふとした時に比較してしまい落ち込むことは今でもあります。


それでもmaruはmaruらしく元気に育ってくれていることを嬉しく思っていますニコニコ花