レポーター〜〜〜 | ももじぃのブログ

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兄弟子の応援の現場もようやく(解放爆笑)終わり
ふぅ〜〜〜って感じです

最後ぐらい 早く帰るように頑張りましたよ

さてとニヤリブロ友さんに教えてもらった所に行ってみようかと
大阪に住んで40年過ぎ爆笑爆笑全くもって知らなかった事があります

天保山(≧∇≦) 

って所があるんですが
今の今まで 山があるって分からなかった❗

いざ 近いから行ってみよう口笛

ほんまにあったんやけど 確かここは公園爆笑

まぁ 普通の公園口笛口笛



こんな感じでねニコニコ
目の前 観覧車で 海遊館もそこって場所


でもねニヤリなんかいい感じの木がありました

それと 松の木かな?






見落としそうになるけど爆笑
4メートル強の山爆笑でした


もともとはねニヤリ

今の大阪港の周辺は、元禄時代以降の相次ぐ新田開発により、陸地広がって行きました。一方、安治川や木津川の河口に堆積する淀川上流から流れてくる土砂により川底が浅くなり洪水が起きやすくなり、また、船舶の航行にも支障をきたすようになので、度々土砂をさらう浚渫(しゅんせつ)工事が必要でした。

1831(天保2)年に行われた浚渫工事は、それまでに比べて最も大規模に行われました。この工事には、延べ10万人以上の人が参加しましたが、各町などから揃いの衣装を作ったり、太鼓やお囃子(はやし)で盛り上げたりとお祭り騒ぎの労働奉仕だったので、幕府から注意を受けたりしたようです。

この時に川底からさらわれた土砂でつくられたのが「目印山」と言われ、後に、その時の年号から「天保山」と名付けられました。

今の天保山は、標高4.53メートルの日本で一番低い山ですが、江戸時代の天保山は、高さ約20mほどもあり、風光明美で桜も植えられ、茶店があり、花見や雪見、船遊びなどで大変にぎわいました。

そんな当時の風景がありましたニヤリ



当時の活気ある仕事ぶりは 衣装にもこだわりがあったみたいですニヤリ



今では 難波や梅田が大阪の賑わい所ですが

大坂って言われた時代では ここがメインだったんですね


明日は健康診断ニヤリがん検診もかねて行って参ります❗
夜9時から飲食禁止になります笑い泣き笑い泣き笑い泣き

久しぶりに歌の特集

永井真理子さんニコニコ
頑張ってるんですよね!
30周年ぐらいになります 
確か ももじぃと同い年



昔…よく聞いていましたね
zutto…    keep on keeping…

懐かしいです

変わっていく自分が目の前にいても



皆さんの明日が良い1日になりますようにニコニコ