「嘘つくの苦手でしょ?」とよく言われる。

そう言われてみれば。確かに私は嘘をつくのが苦手で、嫌いです。

けど、それは「嘘をつくのが苦手である私」という偽造の私かもしれない。

嘘を全くつかないわけないですよん。

 

本当は、私はプチ偽造で溢れています。

虚栄。見栄。格好つけ。責任転換。先入観。かいかぶり。知ったかぶり。

あげればキリがないほどのプチ偽造を当たり前のようにしてる。

そんなもんでしょ。

 

実際、自分にも沢山嘘をついてる。

私は好きとか嫌いとか、喜んでるとか辛いとか、そういうファンダメンタルな部分の感情を上手く表現できない。

もっと要領良く素直になれればいいのにな。

こういうのをツンデレというのでしょうかね。

自分の気持ちに正直になれない、そんな時、私は誰を気にして何を偽造しなければいけないんでしょうか。

この偽造人生に心が少し痛むこともあれば、相手が私の事を痛いと思う事もあれば、それを少し楽しいと思えるくらいにはそれなりには楽に生きられているんです。

自分の弱い部分にとても正直だからこそ、楽なんだと思います。

本来は、自分の弱い部分も隠し、偽り、偽っていることすら忘れちゃう・・そのくらいなら完璧。

けど実際はそうもいかない。

そもそも、嘘と本当の境界線って、とても離れているようには思えないんだ。

「本当を求めて嘘をつく」

それはもしかすると、とても素直な人間らしい行為なんじゃないかと思う。

世界に対する誠実な姿だと思う。

 

じゃすみんに、

「ちゃんぺっつの裏は表で、表は裏で。そういうとこ、凄く好き。

常に人間でいるとこ。何しでかしても常に女でいるとこ。

チャンペッツの偽造はほんとで、ほんとも偽造。

ほんと、生きてるお人形さんみたい」

って言われた時、

ああ、そうなんだって結構しっくりした 笑

 

ソニー兄さんに

「ガリ勉とも仲良くて、不良の輪の中にも入れる君の本当のコミュニティはどこなの 笑」

と言われて、そうだ、実は私はしっくりくるコミュニティが方々にあるのに、居心地の悪さも同時に感じてしまうのは、私のほんとうと嘘が混じり合ってるからだとか、頭の片隅で思ったりしました。実は私に合うコミュニティが無いと感じるのも、自分に対する傷つかないための嘘かもしれない。

それでもこの情けない偽造人生も、ほんとうを求める行動力となり、可能性へと転化するなら、そうやって嘘を言い続けることはそう悪くない事かもしれない。皆プチ偽造人生に勤しんで自分のことしか考えてなくても、あるいは他人の事しか考えてなくても、私は彼らの行為を信じたい。例え嘘でも、信じたい。

そうやって信じる事もまた、嘘でありほんとうなのかもしれないけれど。意識しなくても、そうやって信じちゃうのが自然の摂理ってやつだと思いますのん。

その方が、きっと世界は楽しい。