桜が散って、
他の草木に花びらが落ちていたり、

道全体が薄いピンクになる頃。

高校時代の古文で習った徒然草の
「花は盛りに、月は隈なきをのみみるものかは」
という文章を思い出します。
アイルランドに住んでいた時の、
日本人学校での古文の授業。
桜がない国で習ったから、
心に残っているのかも知れませんね。
確か、
桜が満開な時のだけではなく、
もうすぐ咲きそうなつぼみの頃や、
散ってしまった後に
綺麗な花が咲く時のことを考えることなどが、
趣の深いこと
というような意味だったと思いますが、
目に見えるだけのこと以外からも、
いろいろなことを感じられるように
ということを伝えていた一節でした。
この景色が心に響くようになったのは、
ここ数年、
自分の人生とか仕事とかいろんなことを、
「咲かせよう」
という風に、
思い込んでいたことに気づいたんですよね。
もちろん目に見える結果とか、
その気持ちを持つことは大切だったけど、
満開=ゴール
ではない。
この春からはそんな気持ちで過ごしたいと思った、
ちょっとした心の変化でした
。
他の草木に花びらが落ちていたり、

道全体が薄いピンクになる頃。

高校時代の古文で習った徒然草の
「花は盛りに、月は隈なきをのみみるものかは」
という文章を思い出します。
アイルランドに住んでいた時の、
日本人学校での古文の授業。
桜がない国で習ったから、
心に残っているのかも知れませんね。
確か、
桜が満開な時のだけではなく、
もうすぐ咲きそうなつぼみの頃や、
散ってしまった後に
綺麗な花が咲く時のことを考えることなどが、
趣の深いこと
というような意味だったと思いますが、
目に見えるだけのこと以外からも、
いろいろなことを感じられるように
ということを伝えていた一節でした。
この景色が心に響くようになったのは、
ここ数年、
自分の人生とか仕事とかいろんなことを、
「咲かせよう」
という風に、
思い込んでいたことに気づいたんですよね。
もちろん目に見える結果とか、
その気持ちを持つことは大切だったけど、
満開=ゴール
ではない。
この春からはそんな気持ちで過ごしたいと思った、
ちょっとした心の変化でした
