今年のプレゼントは何にしよう。
和菓子が好きだから、とびきりおいしい和菓子か
それとも同居の兄家族とみんなで食べられる食材・・・
身につけるもの・・・
うん、今回は着るものにしよう。
デパートの女性店員さんとあれこれ話しながら、
ベージュのカシミヤのカーディガンにした。

おとなしめにラメがついていて、シンプルで上品なデザイン。
これなら、あまり派手な物を好まない母でも着てくれそうだ。
郵送で届いた日、母から音声メールが届いた。
「カーディガン、届きました。ありがとう。
今年は旅行にも連れて行ってもらったし、もう何もいいのに。いつもいつも申し訳ないね、気にしなくていいからね。」
そう言うと思ってた。
いつもそうなので。
母は結婚前から働き詰めの苦労人。
高校時代から病弱の父親を助け家計を支え、
猛アタックを受けて結婚した夫(私の父)の生き方に翻弄されながら
波瀾万丈、苦労の絶えない人生を送ってきた。
いつもいつも忙しく働きっぱなしで、
趣味もおしゃれもできずに歳を重ねていく姿に、
娘としてはずっと、とても切ない思いを持って来た。
自分も結婚し、子どもを持って、家庭ができた。
母のような経済的苦労も心配事もなく、ありがたいことと思っている。
が、いつも気がかりなのは「母の幸せ」。
先に老いて行く母が幸せでないと、私も幸せにはなれない、なってはいけない、
というような思いが心のどこかにある。
母は兄家族と暮らしていて、にぎやかな中で毎日を送れている。
孤独な老人も多い中、それはとても幸せなこと。
でも、できることはしたい。
母にとっては子どもの幸せが何よりの親孝行、と言う事も、わかっている。
こうして、毎回いろいろ贈る事が、かえって重荷にさせてしまうかも?とも思う。
でも、やりたいからやるのだ。
これは私自身のセルフヒーリング。
母のため、ではなく、自分のためにやっていること、と、母に返信した。
私がどこかに出かけるときは、娘が「楽しんできてね!!」と言ってくれる。
母の楽しそうな姿は、娘にもうれしいこと。
「あら、きれいね。これを着てどこへ行こうかな、と考える楽しみを持ってもらえたらうれしいです。また1年、健康で過ごせた事におめでとう。」
あと何回一緒にでかけられるだろう。