昨日おばあちゃんに会いに行ってきた
あんなに頑張ったんだから、
もう覚悟する、した、できた
人生を全うして
死ぬことは悲しいことじゃない
次のステージに進むことだから
年末に熱海に行ったときに寄った来宮神社の奥に、大きな樹があって、その樹の周りを一周すると寿命が1年延びるって聴いたので
おばあちゃんの代わりに一周したの
でもそのときも、
もし、本当はおばあちゃんはもう次の人生に行きたいのなら、もう行くべきときなら、
引きとめないであげてくださいって思いながら周ってた
だから、涙は出るけど
ちゃんと納得してるし
生きたいのか、行きたいのか
おばあちゃんの好きなようにしてくれたらいいと思う
変な話だけど、
父方のおばあちゃんが亡くなってから今も、肉体がない方がむしろ近くに感じるようになったし
いつもそばにいてくれるから
涙は出るけど、
そうわかってるつもり
、つもり。
男たち(父、兄)は仕事ですぐに行けないから、「おかんをよろしく、頼む」てすぐ言うけど
わたしは、むしろ、わたしが行かない方が、おかんは「光代の娘」に戻れると思うから今日はもういっしょには行かない
ただ、あの人の娘としてあの場にいてほしいと思う