トレヴェニアン『シブミ』上下巻 | 音盤ながし

トレヴェニアン『シブミ』上下巻

●トレヴェニアン『シブミ』上下巻

 警察小説の名作『夢果つる街』のトレヴェニアンですね。その彼の作品としてこれまた有名なのが『シブミ』なんですが、私未だ未読。読むの忘れてました。なんで慌てて『シブミ』に手が伸びたかといえば、ドン・ウィンズロウが続編ともいうべき『サトリ』を書き上げたからです。『サトリ』を読む前に、やはり『シブミ』は読んでおきたかった。


 主人公はニコライ・ヘル。戦前の上海で亡命ロシア人貴族の母親に育てられ、日本軍の上海占領の後は岸川将軍に庇護され、母の死後は岸川将軍の尽力により日本に渡り、囲碁の名人の家で生活し勉学に励み、自身囲碁の達人となる。えっ!?これでは”孤高の暗殺者ニコライ・ヘルに結びつかない!?でしょ(笑)


 この小説は、ニコライの少年時代から青年時代、そこから一挙に飛んで、引退してバスク地方で暮らすニコライを描いているので、彼の華々しい(らしい)”孤高の暗殺者”時代の活躍はまったく登場しません。そのすっぽり抜けてる暗殺者時代を描いたのが『サトリ』らしいのですが、まだ読んでいないのでわかりません。


 僕がこの小説を楽しめたところは、前半の上海での少年時代から日本に渡ってからの青年時代。成長小説とも青春小説とも言えるところが好きですね。バスクの洞穴における冒険小説的な描写は、スリリングではあったけど、いまいち楽しめなかったし、この小説の主軸かもしれないCIAやPLO絡みの謀略スパイ・スリラーは、ニコライ・ヘルそのものの魅力の前には、その存在が薄れてしまう。


 題名シブミは邦題ではなく『SHIBUMI』であり、日本語の「渋み」からきているそうだ。一見フジヤマ・ゲイシャ・ショーグン・ニンジャのような安易な日本趣味なんじゃないかと思われがちだけど、いやいや作者の日本文化への洞察力は凄いんだよ。例えば「...シブミという言葉は、ごくありふれた外見の裏にひそむきわめて洗練されたものを示している。この上なく的確であるが故に目立つ必要がなく、激しく心に迫るが故に美しくある必要はなく、あくまで真実であるが故に現実のものである必要がないことなのだ。シブミは、知識というよりはむしろ理解をさす。雄弁なる沈黙。人の態度の場合には、はにかみを伴わない慎み深さ。シブミの精神が〈寂〉の形をとる芸術においては、風雅な素朴さ、明確、整然とした簡潔さをいう。シブミが〈侘〉として捉えられる哲学においては、消極性を伴わない静かな精神状態、生成の苦悩を伴わない存在だ。そして、人の性格の場合には...なんといったらいいか? 支配力を伴わない権威、とでもいうのかな?」と、”渋み”について岸川将軍がニコライに話す。以来ニコライにとって”渋み”は人生の最終目標となる。というお話し。


 そうなんだ、この小説は”シブミのある人間”になるために人生を歩むニコライ・ヘルの物語。そしてそんなニコライに道を指し示す人、そして共に歩む同士、岸川将軍、大竹七段、ド・ランド、ル・カゴに献詞を捧げているところに、作者が自身生み出したニコライ・ヘルとその仲間達をとても愛していることがわかる。


 トレヴェニアンのこの小説では、日本文化への愛情と裏腹に大国アメリカへの蔑みが所々に表れる。僕は以前、トレヴェニアンをヨーロッパの作家、フランスあたりの作家だとずっと思っていた。ところが彼はれっきとしたニューヨーク生まれのアメリカ人であった。2005年、74歳で他界した。『シブミ』は'79年の作品。

 さて、いよいよ『サトリ』を開くかな。
シブミ〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)/トレヴェニアン
¥882
Amazon.co.jp

シブミ〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)/トレヴェニアン
¥882
Amazon.co.jp