ムーンライダーズ『火の玉ボーイコンサート』5.5メルパルクホール
●ムーンライダーズ35周年記念『火の玉ボーイコンサート』5月5日 東京メルパルクホール
* チケットの日時とゲスト出演者は、3月11日東日本大震災により変更になりました。
「火の玉ボーイから、たった3年でがらっと変わって」みたいな鈴木慶一のMCで始めた曲は「ヴィデオ・ボーイ」!懐かしい、、、。あれは'79年の会場も同じ当時の郵便貯金ホール、俺が初めて見たライダーズのライヴ、その時がまさに「ヴォデオ・ボーイ」を始めとするライダーズのテクノ・ニューウェイヴの幕開けだった。遡る3年前'76年に登場したのがムーンライダーズのデビュー・アルバムとも言える『火の玉ボーイ』だった。『火の玉ボーイ』から35年とは、感慨深い。
この夜、第一部は『火の玉ボーイ』を曲順どおりに演奏、第二部はセカンド・アルバムの曲など、懐かしめな曲が披露された。でもそこは只者じゃないライダーズの面々、ゲストミュージシャンなど様々なお楽しみが用意されていた。
先ずは開演前の会場アナウンス嬢のMC。火の玉ボーイと言う所をキン・・と言い始めあわてて訂正、大真面目なアナウンス嬢のキン・に会場失笑(笑)結局これは演出だったのだが、更に真面目な口調で可笑しなMCを連発しファンを和ませる。そしていよいよ開演。
最初の登場は客席後ろから、ブバブバ~♪とバリトン・サックス集団東京中低域が中低域を鳴り響かせながらステージに向けて練り歩く。全員スマートでかっこいい。彼等がステージ最後方上段に揃い「魅惑の港」を開演のファンファーレとして高らかに鳴らし、そしてムーンライダースが登場。当時はライダーズじゃなくてライダー「ス」だったんだよね。アルバムと同じ1曲目「あの娘のラブレター」でライヴは始まった。矢野顕子、あがた森魚、徳武弘文、髙田漣などをゲストに交え『火の玉ボーイ』は進行する。『火の玉..』の頃のライダースと現在のライダーズの違いといえば、ギターが椎名和夫から白井良明に代わったこと。ギタリストの交代はバンドのカラーを見事の変えたわけだが、この夜の演奏にも、『火の玉..』にいなかった白井のギターが、懐かしさに浸りたい観客を現在に引き戻す効果があったように思う。第一部の大団円はやはり「髭とルージュとバルコニー」だった。ステージも客席も、みんなが手拍子をし歌い、『火の玉ボーイ』の時代を祝ったのだった。
第二部も懐かしい曲が披露され、オールド・ファンを喜ばせた。まさか「マスカット・ココナツ・バナナ・メロン」が聴けるとは思わなかったし、なんといってもかしぶち哲郎がアコギ&矢野顕子がピアノ、それに武川のヴァイオリンが寄り添う「砂丘」には参った。かしぶちと矢野のデュオを目の前にできたなんて、ほんと幸せなひとときだった。もひとつ、こんなの聴けちゃっていいの!?って曲が南佳孝の「風にさらわれて」。あの大名曲を本人の歌とライダーズの演奏で聴ける喜びと幸せ。嗚呼ここの来て良かったと、しみじみ喜びをかみしめた。あがた森魚はかしぶちの曲で自身のアルバムにも収録の「リラのホテル」を歌い、矢野顕子は豪快に「達者でな」を熱唱し、アリちゃん松田幸一はしみじみと「東京の屋根の下」を歌い、そしてDr.K徳武トクちゃんは「ピーターガンのテーマ」をラウンジーな演奏で聴かせてくれた。ライダーズの「バックシート」は彼等のポップ・アヴァンギャルドでプログレな側面を思い起こさせる演奏が、俺的には懐かしかった。そしてコンサート最後の曲は最新アルバムから、メンバー全員が歌い回す「6つの来し方行く末」をしみじみと、、、。
アンコールは出演者全員がステージに立ち「大寒町」。作者の博文君始め、矢野、慶一、あがた、南がそれぞれヴォーカルをとり、この夜の大団円となった。そう、まるであのザ・バンド『ラスト・ワルツ』の「アイ・シャル・ビー・リリーストのように、、、。曲が終わり、とその時、慶一がエレキ・ギターを掻き鳴らしアンプに近づける。フィードバックした轟音、それに呼応する東京中低域のいななき。始まりの終わり、終わりの始まりを、こんなカオスで表現するなんて、まったくムーンライダーズは鈴木慶一ってやつは!!! 気がつけば3時間超えのライヴだった。明かりの戻ったホールには「蛍の光」が流れていた。
1曲のヒットも無ければ好セールスを記録したアルバムもないロック・バンドの35年だった。ライヴに定評のあるバンドでもない。というより、彼等程ひとりひとりのプレイヤーとしての実力を、ライヴで伝えるのがヘタなバンドも珍しいと思う。それでも、ムーンライダーズのファンは、このバンドを愛し続けた。それはムーンライダーズというバンドのセンスを愛し続けたと言えるだろう。俺はそうだ。35年間ずっと、彼等独自のセンスから紡ぎ出されるロック・ミュージックが好きだったし、これからもそれは変わらない。ムーンライダーズの35年間は、ファンに恵まれた、ファンに愛され続けた35年間だったと、このライブ会場で確信した。
* チケットの日時とゲスト出演者は、3月11日東日本大震災により変更になりました。
「火の玉ボーイから、たった3年でがらっと変わって」みたいな鈴木慶一のMCで始めた曲は「ヴィデオ・ボーイ」!懐かしい、、、。あれは'79年の会場も同じ当時の郵便貯金ホール、俺が初めて見たライダーズのライヴ、その時がまさに「ヴォデオ・ボーイ」を始めとするライダーズのテクノ・ニューウェイヴの幕開けだった。遡る3年前'76年に登場したのがムーンライダーズのデビュー・アルバムとも言える『火の玉ボーイ』だった。『火の玉ボーイ』から35年とは、感慨深い。
この夜、第一部は『火の玉ボーイ』を曲順どおりに演奏、第二部はセカンド・アルバムの曲など、懐かしめな曲が披露された。でもそこは只者じゃないライダーズの面々、ゲストミュージシャンなど様々なお楽しみが用意されていた。
先ずは開演前の会場アナウンス嬢のMC。火の玉ボーイと言う所をキン・・と言い始めあわてて訂正、大真面目なアナウンス嬢のキン・に会場失笑(笑)結局これは演出だったのだが、更に真面目な口調で可笑しなMCを連発しファンを和ませる。そしていよいよ開演。
最初の登場は客席後ろから、ブバブバ~♪とバリトン・サックス集団東京中低域が中低域を鳴り響かせながらステージに向けて練り歩く。全員スマートでかっこいい。彼等がステージ最後方上段に揃い「魅惑の港」を開演のファンファーレとして高らかに鳴らし、そしてムーンライダースが登場。当時はライダーズじゃなくてライダー「ス」だったんだよね。アルバムと同じ1曲目「あの娘のラブレター」でライヴは始まった。矢野顕子、あがた森魚、徳武弘文、髙田漣などをゲストに交え『火の玉ボーイ』は進行する。『火の玉..』の頃のライダースと現在のライダーズの違いといえば、ギターが椎名和夫から白井良明に代わったこと。ギタリストの交代はバンドのカラーを見事の変えたわけだが、この夜の演奏にも、『火の玉..』にいなかった白井のギターが、懐かしさに浸りたい観客を現在に引き戻す効果があったように思う。第一部の大団円はやはり「髭とルージュとバルコニー」だった。ステージも客席も、みんなが手拍子をし歌い、『火の玉ボーイ』の時代を祝ったのだった。
第二部も懐かしい曲が披露され、オールド・ファンを喜ばせた。まさか「マスカット・ココナツ・バナナ・メロン」が聴けるとは思わなかったし、なんといってもかしぶち哲郎がアコギ&矢野顕子がピアノ、それに武川のヴァイオリンが寄り添う「砂丘」には参った。かしぶちと矢野のデュオを目の前にできたなんて、ほんと幸せなひとときだった。もひとつ、こんなの聴けちゃっていいの!?って曲が南佳孝の「風にさらわれて」。あの大名曲を本人の歌とライダーズの演奏で聴ける喜びと幸せ。嗚呼ここの来て良かったと、しみじみ喜びをかみしめた。あがた森魚はかしぶちの曲で自身のアルバムにも収録の「リラのホテル」を歌い、矢野顕子は豪快に「達者でな」を熱唱し、アリちゃん松田幸一はしみじみと「東京の屋根の下」を歌い、そしてDr.K徳武トクちゃんは「ピーターガンのテーマ」をラウンジーな演奏で聴かせてくれた。ライダーズの「バックシート」は彼等のポップ・アヴァンギャルドでプログレな側面を思い起こさせる演奏が、俺的には懐かしかった。そしてコンサート最後の曲は最新アルバムから、メンバー全員が歌い回す「6つの来し方行く末」をしみじみと、、、。
アンコールは出演者全員がステージに立ち「大寒町」。作者の博文君始め、矢野、慶一、あがた、南がそれぞれヴォーカルをとり、この夜の大団円となった。そう、まるであのザ・バンド『ラスト・ワルツ』の「アイ・シャル・ビー・リリーストのように、、、。曲が終わり、とその時、慶一がエレキ・ギターを掻き鳴らしアンプに近づける。フィードバックした轟音、それに呼応する東京中低域のいななき。始まりの終わり、終わりの始まりを、こんなカオスで表現するなんて、まったくムーンライダーズは鈴木慶一ってやつは!!! 気がつけば3時間超えのライヴだった。明かりの戻ったホールには「蛍の光」が流れていた。
1曲のヒットも無ければ好セールスを記録したアルバムもないロック・バンドの35年だった。ライヴに定評のあるバンドでもない。というより、彼等程ひとりひとりのプレイヤーとしての実力を、ライヴで伝えるのがヘタなバンドも珍しいと思う。それでも、ムーンライダーズのファンは、このバンドを愛し続けた。それはムーンライダーズというバンドのセンスを愛し続けたと言えるだろう。俺はそうだ。35年間ずっと、彼等独自のセンスから紡ぎ出されるロック・ミュージックが好きだったし、これからもそれは変わらない。ムーンライダーズの35年間は、ファンに恵まれた、ファンに愛され続けた35年間だったと、このライブ会場で確信した。
