ピーター・スコット−モーガンがサイボーグになって、明らかになったという人生観と「暗黙のルール」
・自分の置かれた状況がどれほど暗く絶望的にみえたとしても、人はその大雨の状況の中に自らが光ることによって虹を作り出せる。
ルール
①不運を受け入れる
②自分がボスである(自分の行動を決めるのは自分)
③パニックにならず考える
④決してあきらめない
身体を失いサイボーグになってしまうというすさまじい経験をしながら彼が見出した人生観と暗黙のルールが、全く古典的なことにはじめは大きな驚きを覚えた。
しかし考えてみれば、彼の今の状態は、病気によってできなくなったことがテクノロジーによってかなりできるようになってきた、という段階で、彼の脳が健在であることに依っている。つまり、サイボーグになっているのはあくまで身体の部分だ。身体と心(脳)が切り離せない、相互依存の関係であるとしても、身体も含めた状況に応じて反応している「脳」というアイデンティティは保たれていると言える。そう考えれば、彼が今見出している人生観や人生のルールは、彼が「漠然と考えていたことが形になった」と言っている通りに、古典的なものであるのがむしろ当然なのだ。
しかし、彼が2年以内に起こると期待しているブレイクスルーの一つ、AIと自分がコラボレーションするということ、「AIが自分の言いたいことを予測できるようになる」、「時には本物の私が言おうと思っていなかった言葉が発せられる」ようになること、それが本当に起こった時こそ、強烈なパラダイムシフトが生じはじめるだろう。
ピーターはAIのおかげで自分が本物より賢く見えたり面白い人間になったり記憶力が良くなったとしても抵抗はない、と公言している。しかし、単純に考えて、AIがそんなに都合良く社会的評価が高くなるようなアウトプットしかしないとは考えにくい。人は思っていることをすべて口にしないこと、思っているのとは全く違う発言をすることによって常に意識的に社会的な自分を作っているし、また、時には無意識のうちに自分自身を偽ったりしてもいて、逆に他人の方がそれを見抜くこともあったりするが、そこにAIが介入してきた時に、「自分」というものがどういうものなのかという再考を促されることは間違いない。
ピーターは自分の望まない発言をしてしまうピーター2.0に手を焼くことになるだろうか。
もっとも、言語が生じる過程そのものがそれほど明確にわかっているかどうかもよくわからない。「言おうと思っていなかった言葉が発せられる」とは「考えていただけで口にするのは控えようと思っていた言葉」だろうか。言語は「わたし」の大きな部分を占めているが、言語=わたし、ではないだろう。もっと混沌とした何か(無意識?)を大きく含んでいるのが「わたし」であって、確かに、その「わたし」もどこかで「私」の手に余る、「私」からははみ出た存在、あるいは境界のわからないなにかであるのには違いない。









