鹿児島から母が遊びにきています。

 

 

 

昨年12月13日に父が亡くなって、その1ヶ月後に海洋葬をして

 

 

そしてさらに一ヶ月くらい経ったかな。

 

 

 

亡くなってしばらくは、大変だった介護の日々から解放されて

ちょっとほっとするやら

 

けど、朝、家の中が無音なのにふいに泣けたりとかしていたらしいのですが

 

さすが、わが母。

 

 

やりたいことをどんどん叶えていっています。

 

 

 

父の介護ベッドがあった部屋のふすまや畳を綺麗にして

 

そこでご近所さんや、趣味友を招いて、ご飯会を開いているらしい。

 

 

母ももういい年齢なんだけど(76歳)、お年寄りのボランティア活動をしているんですけど

そんな中で、独居老人のひとりご飯がとてもさみしく味気ないのだという話を聞いていて

それなら、と、自分のおうちに招いて、たまにご飯会をするんだって始めました。

 

それも、ご飯を食べるだけだと間ももたないから、と

手作りで、輪投げを作ったり、100均でダーツを買って部屋に飾っていたりして

遊びごとも取り入れているらしいです(笑)

 

今は玉入れをどうやって作ろうかと悩んでますw

 

 

自分の終活も考えているらしく

 

お年寄りの方が入る施設にボランティアで入って

お世話をしながら暮らせないか、とか

 

いや、いや

先日まで父のお世話をしていて、やっと自由になったのに

結局、人のお世話をしている母なのです。

 

 

わたしは母ほどは人のお世話が好きではないのだけど

 

でも、ご飯を食べる会とかね

子ども心に帰って遊ぶ企画とかね

そういうのして、みんなが笑ってくれるのがうれしい、だとかいうところは

 

本当にこの母譲りの性質なのだなぁと、あらためて感じました。

 

 

そして、ちょっと泣きそうになる。

 

ありがとう、と。

 

 

命は生まれてくるときに

両親を選んでくるという。

 

それは胎内記憶の研究者である池川明さんの著書から知ったのですが

 

当時、アトピーがひどくて、泣いて寝ない長男の子育てにパニクりながら

自分の母親としての能力の低さに悩んでいたから

 

ああ、この子がわたしを選んできたのだとしたら

なにも悩むことはないんだ、と思えた一歩だったのです。

 

だって、お空の上から見ていたのなら、ぜんぶお見通しやん。

 

わたしがどんなに外面をつくろっていたとしても

お空の上から見られていたのなら、まるバレやん。

 

それでもわたしを選んだのね?ってそう思えたから。

 

 

そして、両親のことをまだいろんな意味で許せていなかったことも

ああ、わたしが選んだのなら?って目線の転換は大きかった。

 

 

そして今なら、本当に胸を張って言える。

 

あの父と、この母とを選んでわたしは生まれてきたということを。

 

 

父のビジネス感覚、自営業をしていた父の行動力、反骨心と

母の、人と集って、笑って、緩んでもらえることが喜びというボランティア精神と

 

わたしはそれらをまぜこぜにもらって

 

今、YORISOIハウスを立ち上げようとしている。

 

 

あげまん道を作って

たくさんの女性に喜んでいただいて

 

その礎の上にさらにもっと命の根幹の部分に関わっていきたいと思っていること。

 

 

今日もユーチューブの編集をしていました。

 

一緒にやってくれている助産師のみぃちゃんとけーこちゃんと

ふたりから意見をもらって、どんどんブラッシュアップしているところ。

 

 

まさか✩

 

48歳になってね(笑)

 

ユーチューブの編集をするなんて思ってなかったよ。

 

まぁまぁ最先端やん。

 

わたし、えらい。

 

わたし、すごい。

 

わたし、ほんと頑張ってる。

 

 

自分で自分のことそう思えながら、パソコンにかじりついて、目がチカチカしてきていて

でも、充実しているの。