昏睡状態に入って、ドクターや看護師さんからは「今日か明日か…」と言われていました。

 

自分たちでもネットで調べたりして

呼吸がこうなったら、あと数時間、とか

血圧がこうなったら、あと数時間、というのを見ていました。

 

 

だけど、父はその予想をことどとく裏切り

 

数日間ずっと、呼吸だけをして生きていました。

 

 

規則正しい、静かで穏やかな呼吸。

 

 

 

わたしにも鹿児島にいられる期限があったし

それなりの準備をして飛び出したとはいえ

家には犬も置いてきているし

いつまでも子どもたちに付き添ってもらうのもだし

 

 

わたしの中で葛藤が起きました。

 

 

どこで帰ろう。

 

 

 

決めなきゃいけないときは、いつも自分の内側の感覚に頼るのですが

ふと、まだ父は息をしているけど、帰るのは今日だ、と感じました。

 

 

なので、木曜日の午後に出て、サンフラワーで金曜日の朝にこちらに帰ってきました。

 

父が息を引き取るのは、金曜日の夜中でした。

 

 

 

 

息を引き取る場面にいられなかったのが残念ではないか?と思うと

 

意外とそうは感じてなくて

 

なんとなく、これも守られているのだな…と感じたので、わたしの感じていることを書いてみたいと思います。

 

 

わたしは感じることが得意です。

 

わたしが感じたことを、こうしてブログで書く事で

たくさんの人に喜んでもらって、それがお仕事につながったりしています。

 

 

それで、父の最期を離れた場所でむかえることになって

実は思う存分に、感じるということを、今させてもらっています。

 

 

鹿児島にいる母も妹も

目の前に息を引き取った父がいて

でも、そこからすぐに、いろいろ実務をしていかなくてはいけなくて

 

例えば、ドクターを呼ぶこと

死亡を確認してもらうこと

葬儀屋に連絡

身体を拭くこと、着替えさせること

遺体の父と自宅で過ごすこと

 

そして今日これから火葬です。

 

 

わたしは、それらからぜんぶ離れて

ただただ、父親という大きな存在を亡くしたことだけに

ある意味集中させてもらっていて。

 

 

わたしは実務は苦手です。

 

苦手だと言っても、しなくちゃいけないことはもちろんしますが

それをしているとき、わたしは「活きない」。

 

 

活きない(イキナイ)は、生きない(イキナイ)なのではないかな、と

 

 

 

それはずっと、このイビツな自分を愛せるようになって感じていることであるし

 

あげまん道ではずっとそれを伝えてきていてことでもある。

 

 

妹はとても実務が得意なの。

 

ほんと冷静にあたまが回る人なのです。

 

その妹は奇跡的にあさってまで休みをもらえていて(ほんとこんなことないお仕事してるのに!)

 

それらはもう、父が死ぬタイミングまで巧妙に計らってくれたのだとしか思えない。

 

 

見事で。

 

 

人は生まれてくるとき、時間やタイミングを選んでくる、というのは

かなり周知されていると思うのだけど

 

生まれてくるときを選べるのなら

 

絶対に死ぬときも選ぶだろう。

 

 

 

実務が得意で、そばにいれる妹に甘えて、わたしは自分を今

 

生かしている。

 

 

これも、父がくれたものなら

 

わたしは今、書かなきゃって思って、書いています。

 

 

いや、書きたいと思ったから

 

不謹慎だとかいう声も気になりつつも、書いています。

 

 

 

 

 

そして最後に書きたいこと。

 

 

それは父が最期に見せた、穏やかで静かで、永遠にでも続くかのような呼吸。

 

 

看護師さんにも

 

「こんなに穏やかで静かに続く呼吸は、ひさしぶりに見た」と言わしめたくらいに

 

ある意味、予想を裏切った呼吸だけの生の数日間。

 

 

 

わたしはね、言葉にするなら

 

淡々と生きる素晴らしさ、みたいなものを感じたのです。

 

 

ただ、生きるってこと。

 

 

なにも出来なくても、呼吸していることの素晴らしさ。

 

 

 

 

誰かの予想や、一般常識やそんなの関係なくて

 

ただ、自分である、っていうかね。

 

 

 

 

それとね、離れてソノトキを迎えたわたしが

 

父が息を引き取ったと聞いた瞬間に、ものすごい喪失感に襲われ、号泣したんだけど

 

そのときに思ったのがね

 

 

よく、ちまたで言うでしょう?

 

 

あなたはただいるだけで素晴らしいんですよ、とか、そういうの。

 

 

それの意味が本当にわかったの。

 

 

 

その瞬間までは、父が鹿児島の病院で、ただ呼吸をしているというだけで

 

わたしの中には父はいたんですよ。

 

 

でもね、息を引き取ったって聞いた瞬間に

 

父がいなくなったんですよ。

 

 

で、それが、もうびっくりするくらいの喪失感だったの。

 

 

普段からそんなに連絡を取り合うこともなく

 

ベタベタしない家族関係だった、うちの家族。

 

 

会えるのも、ほんとたまにで

 

でも、あの鹿児島の地に「父がいる」ってその感覚だけで

 

なにかしっかりとしたものがわたしの中にあったことに気づいたんです。

 

 

 

支えられていたんですよね。存在に。

 

 

 

ああ、もう父がいないんだ。

 

いえ、遺体としては、あそこにあっても

 

息を引き取った瞬間の前と後とでは、ものすごく感覚が違って、それに驚いたんです。

 

 

 

それは不思議な感覚でした。

 

予想もしてなかった感覚でした。

 

 

 

そして

 

その人が存在するっていう思い、感覚が

 

こんなにも人を支えてくれているんだなってことが、身にしみてわかった。

 

 

 

今も、まだ

 

父がいないんだ、と思うと、涙がこぼれてくる。

 

 

 

いないと思うだけで。

 

 

 

 

最後に、うちの夫の素敵なところを書きたいです。

 

 

夫は仕事の関係で、今回のには立ち会えずでしたが

6月と9月に会いに行ってます。

 

6月に行った際に、わたしの父に感謝状を送ってくれていました。

 

そして、夫の作った料理の中で一番喜んでいた「ハモ料理」を振舞ってくれていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このときの夫、かっこよかったな。

 

ちゃんと白衣も持って行ってくれてね。

 

 

 

父が余命宣告をされたとき、それを夫に連絡したら、電話の向こうで泣いてくれました。

 

そのあとも、父のことを話すとき

いつも「いいお父さんやったな」って言ってくれました。

 

 

親の死に初めて向き合って

一緒に泣いてくれたり、思ってくれたりするパートナーがいるってこと

 

本当にありがたくてうれしいなって思いました。

 

 

 

そしてね、今回昏睡状態になり、いよいよってとき

 

夫は仕事で行けなかったんだけど、電話するたび、涙を流してくれているのがわかりました。

 

行けない自分もめちゃくちゃ苦しかったと思います。

 

 

 

そして、そんな夫が息を引き取ったと知ったとき、こんな風に言いました。

 

「なんかな、ずっと涙流れてたけど、亡くなったって聞いてから涙がでーへんねん。

 

 むしろ、みなぎってきてるねん。

 

 まかしとき~って感じやねん。」

 

 

 

なるほど~

 

そういう風に感じるんやな。

 

男の人っぽいなぁと、それも感じたことです。

 

 

きっと、父から完全にわたしをバトンタッチされた気持ちなのかもしれないです。

 

戦う性として、「おつかれさま」という感覚なのかもしれないです。

 

だから、みなぎってくるんだなぁって。

 

かっこいい生き物だなって感じました。

 

 

四男はずっとわたしに付き添ってくれてたし

 

離れている息子たちからも次々とラインで声をかけてもらってます。

 

 

ほんと、わたし愛されてるドキドキ

 

 

 

 

 

わ、ちょうど書き終わった

 

あと一時間で火葬です。

 

 

 

父の遺志と、家族との相談で

お葬式はせずに、火葬だけをして

来月に海洋葬というものをします。

 

 

桜島の海に骨を撒いてほしいというのが父の願いでした。