11月末に会いに行ったとき、一緒に週に一度の検診にも立ち会えました。

その時の流れで、またわたしが父に入院を勧めることになりました。
 
細かな流れは省きますが、結局このときも
わたしはこのために行ったのだなって感じました。
 
実はほんとに、父も
そしてお世話をしている母も限界だったみたいです。
 
 
そして、12月4日に入院。
 
今週の月曜日、つまり9日の午後
買い出しに出かけていたら、母から電話が入りました。
 
父が
昨日の夜から何も食べてなくて
呼びかけても反応なくずっと寝てると。
 
ドクターに呼べる人は呼んでおいてと言われたと。
 
 
そこからはややパニックになりながら
どうやって鹿児島に行くか?
子供たちのこと
仕事の調整
犬のこと
済ませて置かなくてはならないこと
 
たくさん頭を回転して
一つずつ解決していくことに。
 
夜になり眠れそうになくて
そのまま、夜通し走りました。
 
早朝、山口県の長男のところについて
そこからは長男に運転を代わってもらって、一気に鹿児島まで。
 
ああいう時って興奮状態で眠れないものです。
 
体は疲れていたと思うけど
自分たちで車を走らせるって
少しずつ近づいている感覚がとても良かった。
 
 
 
病院に着いたら
昨日までは呼びかけても反応がなかった父が少し反応があるとのこと。
 
可美やで。
おとうさん!
来たよ!!
 
声をかけたら、目をうっすら開けて
あーと声を出してくれた
 
わかってる!
伝わった!
もう、それだけで号泣。
 
 
そのときに
 
もう、めちゃくちゃ愛されていたことがわかりました。
 
 
どーーーーんと、伝わってきました。
 
 
 
 
間に合ったのと
待っていてくれてるのを信じてたのと
2週間前とまるで違う様子の父にショックと
 
ほんといろんな気持ちがうずまいていて。
 
 
 
 
そう
2週間前にしっかりしている父と話したんですよね。
 
最期のとき、何かしてほしいことある?って。
もう、死を包み隠して話すのは違うと思ってたから、思い切って聞いたんです。
 
そしたら
 
手を握っててくれたらいい
 
そう言われたので
そこからは出来る限り、手を握ってました。
 
母と妹と、たまに四男が
代わりばんこにだれか横にいて
手を握ってました。
 
そこからほどなく、反応もなくなり
いわゆる昏睡状態に。
 
日曜日のお昼まで意識のあった父と母は
ちゃんと最期の夫婦の会話をできていたようです
 
父が「もう悔いはないわ」と言い
「ただ、母やわたしや妹の声が聞けなくなると思うとさみしい」、と言い
 
母が
「いい人生やったか?」って聞いたら
父は
「まぁまぁいい人生やった」、と。
 
 
んでね、父が母にね
「もう一回、お前とセ ックスしたかった」
って言ったんだって。
 
わたし、そこでめちゃ泣いた。
 
なんて素敵なんだろうと。
 
なんて愛を感じる言葉なんだろうと。
 
母はとても愛されてたんだな。
 
 
 
お互い不器用だから
面と向かって優しい言葉をかけあったり
愛し合ってる素ぶりは見せなかったけど
 
お互いがいない時には
とてもお互いのことを気遣っていた。
 
父は余命がわかってから
とにかく母のことをわたしや妹によく言うようになっていた。
 
父が言ってたことで印象的だったのが
 
母には住む家もあるし
お金も困らないくらいにはあるから
大丈夫やろうという言葉
 
 
男の人らしいなって
サヌキっぽいなって
 
 
見えるもの
現実的なもの
にとても重きを置き
 
それらで愛する女性を守ろうとする
 
本気で守ろうとすると
命までかけちゃう
 
ガンだって一気に致死量作れちゃう
 
それこそ、身体張って、命かけて
ずっと母やわたしたち姉妹を守ってきてくれてんだなって
 
 
 
そう、抗がん剤を使うかどうか迷ってた時にね
父が使うことを決心したんだけど
 
その理由を後から教えてくれたことがあって
 
それは、抗がん剤って副作用があるとされてるけど、個人によってどう影響があるか、使ってみないことにはわからないでしょう。
 
父は自分が使ってみることで
わたしたち姉妹に影響を見せようと思ったんだって
 
血が繋がってるのだから
自分に起こることが参考になるだろうって
 
それ、もしかしたら
ちょっとカッコつけたのかもしれないよ。
 
本当は少しでも助かりたくて使ったのかもしれない。
 
けど、そうだとしても…
 
その発想はなかなか女にはない。
 
自分の身体で実験して
お前ら、見ておけよという感覚。
 
めちゃ、それも泣けたんですよね。
 
 
 
もう意識もなく
ただ、規則正しい呼吸を
穏やかに繰り返す父を見ていて気づいたことがある。
 
 
それがあのサヌキとアワを説明する時に使う
木の絵
 
 
 
サヌキ(男性性・陽)とアワ(女性性・陰)
 
詳しくは、あげまん道を受けていただいた方に1時間以上かけてご説明しているところなので
簡単に書くと
 
パートナーシップにおいては
男性側がやはりサヌキの含有量が多いぶん、土から上の見えている部分(幹・葉・枝)のところを担当している場合は多いです。
 
逆に女性側は根っこのほう担当ね。
 
 
この図を見てもらって、あげまん道を受けにきてくださる方たちに
 
わたしたちは根っこなんだから、もっと自覚をもって、自分に栄養をあげることをしようね♪ってことをお伝えしています。
 
自分に栄養をたっぷりあげることが、時間差でサヌキのためになるんだから。
 
 
そうして、自己犠牲をしがちな女性の質に気づいてもらい、そうではなく、まず自分の感覚や想いを大切にすることを頑張ってもらう。
 
そのために、この図はよく使っていました。
 
 
 
 
今回ね、父の死に向き合う中で、今まで見えていただろうに、よく見ていなかった部分に目がいったんですよね。
 
 
そう、上のサヌキ部分の働き。
 
 
それに気づいたきっかけが
父が母を残していくのに際して、言ってた言葉。
 
「住む家も残してあげれたし、大丈夫」的な言葉。
 
 
 
で、急に気づいたの。
 
家は、土の中みたいだって。
 
 
あたたかくて、守られている場所。
 
 
そう、わたしは根っこの部分を
 
守られている場所
 
って見方をしてこなかった。
 
 
 
 
だって、土の中はあたたかい。
 
雨に濡れるのも
 
風に吹かれるのも
 
嵐で揺らされるのだって
 
 
ぜんぶ、サヌキ側だ。
 
 
突然、なにかにぶつかられてしまったり
 
突然、切り傷をつけられたり
 
それこそ、邪魔だと切られてしまったり
 
なにか、ふいの不幸に見舞われるのは、ぜんぶ、サヌキ側だ。
 
 
 
そっか。
 
守るというのは、こういうことだ。
 
 
すべて受けて立つということだ。
 
 
いちいち雨に濡れたからって、男の人は言わなかったりする。
 
今日はかなり風が強くて、ぐらぐらになっちゃったことも、あまり言わなかったりする。
 
 
自分が守り通したい存在が雨に濡れていないのなら、それでいいと考えていたりする。
 
強い風は自分が受けたのなら、それでいいと思っていたりする。
 
 
男の人ってときに、守りたい存在を、あたたくて安全な場所に置いておいて
 
自分だけが戦っている気分になったりするよね?
 
 
 
女性側からしたら、ひとりで戦わんといてよ~あせる
 
ってか、戦ってるつもりになってんじゃないよービックリマーク
 
ってか、共有したいよ~ビックリマーク
 
一緒に生きていってるんやんか~ビックリマークビックリマーク
 
ってか、見えないところで、わたしたちだってあんたを支えてるんよーービックリマークビックリマークビックリマーク
 
 
っとかって言いたくなるときも、あったりなんかして(笑)
 
 
けど、ひとりで戦っている感覚
 
守りたいもののために、受けて立っている感覚って
 
 
 
ものすごい男の人がパワーがみなぎる場面なのだと思う。
 
 
 
それは、昔からずっと、そうなのだと思う。
 
古臭い考え方に思えるかもしれないけど、これはサヌキ側にきっと絶対にある感覚。
 
 
 
 
うちの家族の場合は、母とわたしと妹と、みんな女だったから
 
父はとくにそういう感覚があったのかもしれない。
 
孤独だったのかもしれない。
 
 
 
若い頃に独立して、ひとりきりでお仕事をしてきた中
 
わたしたちには見せない、いろんなことがあったはずだ。
 
 
それを言わずに、当然のように受けて立ってきてくれたんだなと、あらためて思ったの。
 
 
わたしはどこからか、父を弱い人だと思ってたの。
 
それは、母の愚痴の影響もとても大きくて
 
母が父のことを、常に短気だ、我慢ができない人だって言ってたから、そう思ってたの。
 
 
けど、足が麻痺し出して、末期ガンになってからの父を見ていて、そのイメージががらっと変わったんです。
 
めちゃくちゃ辛抱強かったし、めちゃくちゃ最後まであきらめない人だった。
 
 
だって、入院の前日まで自力で釣りにでかけていたの。
 
腹水でお腹ぱんぱんで、寝返りすらうてない体で、声もしぼりだしているような体調で
入院前に最後に釣りにでかけた。
 
で、最後の釣りから帰ってきたあと、車椅子からベッドに移るのに一時間かかったって母が言ってた。
 
もう、それくらいヨレヨレになってでも、釣りに行ってたんです。
 
 
それって、おそらく
釣りに行けている自分っていうのを、あきらめなかったんだと思う。
 
だって、行く必要ない。
 
明日入院するんだもん。
 
なのに、それでも最後に行く。
 
最後に行った俺ってのが、父の中でめちゃくちゃ誇りだったんだと思う。
 
 
 
そういう意味のわからないことを、ときに男の人ってやっちゃう。
 
女からしたら、ほんと意味わかんないこと。
 
夫や息子たち、彼氏たちから、そういうの、何度も見たことがある。
 
 
いつもわたしの頭の中は???なんだけど
 
いつも彼らはそんなとき、とても気持ちよさそうだ。
 
 
 
 
そして父の最期の時間は、それもわたしにとっては大きなメッセージをもらう最期だったんです。
 
長くなったので、次にそれも書きたいです。