父が亡くなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父は今年の春、末期ガンであることを告げられました。

 

わかったときには胃と肝臓と肺にも少し転移があり、いわゆる手の施しようのない状態でした。

 

 

普段、ほとんど連絡を取り合わない妹から電話があり、すごくドキっとしたのを覚えています。(妹は鹿児島で父の傍で暮らしています)

 

 

そして妹からガンだと聞いたとき、突拍子もなく直感で

 

「あ、父は死にたくてガンになったんだな。」ってことがわかったんです。

 

 

それは後から父の口から聞くことになります。

 

 

 

 

ここから3年さかのぼること、2016年夏、わたしたち家族は7人で鹿児島への車旅をしていました。

 

グランドキャビンという10人乗りのバスのような車をレンタカーして、一泊目は広島、二泊目は博多、そして途中、熊本などに寄りながら

最終目的地は鹿児島、わたしの両親と妹家族がいる場所に向かう旅行でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その二日目の、忘れもしない広島の宮島で母から電話があったんですよね。

 

「おじいちゃん(父)が入院した。」

 

びっくりしました。

 

 

父はその数年前から、頚椎のヘルニアの影響で足や手先がしびれたり、という症状があったのですが

それが悪化して、急に下半身がほとんど動かなくなってしまっての緊急入院だったのです。

 

 

せっかく旅行に来ているのに、父が入院だなんて…

なんで、こんなことが「今」起きるんだろ…と最初は思ったのだけど

そのうち、逆にこうして会いにいけるときでよかったのかも、とも思いました。

 

鹿児島では母や妹家族と一緒に泊まってご飯と食べたりもできたし

入院先にも行って、ドクターの話を一緒に聞くことができ

 

なによりよかったなぁと思ったのが、父が頑なに手術を拒否していたのを、わたしが説得することができたこと、でした。

 

ああ、このためにこのタイミングで来たんだな、そう思いました。

 

母も妹も、近くにいるがゆえ、父の想いを叶えてあげようとしてくれて

そのため、方向転換のタイミングがわかりにくかったのかもしれません。

 

外からわたしが行くことで、これはやらなあかん!みたいな決め事が、言いやすかったんですよね。

 

そんなことはこのあとも、ずっと続きます。

 

なぜか決め事をしなくちゃいけないタイミングで、わたしは鹿児島に行くことになっていくのですよ^^

 

 

この入院時にはほとんど下半身は麻痺状態でした。

 

が、手術を受けてくれたことで、完全麻痺は回避されて、リハビリで補助具を使えば歩ける程にまで回復していきました。

 

でも、基本は家の中だけの生活で、父の楽しみだった釣りには行けなくなってしまいました。

 

 

ずっと家にいる生活は、想像以上に苦しかったのだと思います。

 

時折、わがままになったり、「死にたい」などと投げやりなことを母には言ってたみたいです。

 

 

 

足は動くとはいえ、だんだん弱ってくるし、母の介護も負担が大きくなっていて

 

母が父にきついことを言ってしまったり、つらくて泣き出したり、とか

 

それも父はわかっていて…

 

 

愛する母に迷惑をかけながら生きているのが苦しかったのだと思います。

 

口には出さないけど。

 

 

 

それで、わたしは体内にガンを作ったんだなって思ったんです。

 

死にたいって願いを叶えるための。

 

 

 

 

だってね、父は、半年に一度は最低でも病院で検査を受けていたんです。

 

なのに、半年前にはなんともなかったのに、いきなり末期ガンになっていた。

 

数ヶ月でここまでのガンって作れるんだ?ってくらいの、見事な末期ガンを。

 

 

 

ガンになった父と話したときに

「わし、ガンになって死にたかってん」

って言ったんですよね。

 

 

 

 

あ、やっぱり。

 

そう思いました。

 

 

 

人は思ったように生きれる。

 

 

ガンだって一気に作れるんだなって感じました。

 

※わたしの感じたことです。

 

 

 

 

余命はなにもしなければ数ヶ月ってことでした。

 

本人とも相談のうえ、弱めの抗がん剤を6クール程度は使いました。

 

弱めのものだったので、副作用もほとんどなく、

そしてガンの状態に反して、痛みもまったくなく

それも本人の望み通りでした。

 

 

 

 

余命数ヶ月を宣告されてから4ヶ月経った9月には、妹が休みを取ってくれて

二泊三日で我が家に遊びに来てくれました。

 

仕事で忙しい妹がそんなに休みを取れるのもないので

どこに行きたい?って聞いたところ、なんと我が家だったのです(涙

 

今の世の中、本当に優しいって思ったのが

 

車椅子タクシー

車椅子のまま乗れ、ほぼベッドで過ごせる多目的室のある新幹線

車椅子の人が乗り降りしやすいレンタカー

 

これらが揃っていたから、旅ができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この二泊三日の旅、本当に本当に楽しかったんです。

 

父と妹とわたしの三人(母はリフレッシュ休暇に残ったので)

 

もちろんいろんな意味で最後だという感覚があったので

 

どの瞬間も煌めいていたのを覚えています。

 

 

二日目には一緒に鯉を買いに行きました。

 

「ワシやと思って大事にしてや」って言われました(涙

 

 

とくに三日目、わたしたちが生まれ育った住之江に行ってドライブしたときは

父から意外な昔話なども聞かされたり

 

わたしたち姉妹もなつかしい場所ばかりで

 

いやにはしゃいだし

いやに話したし

いやに三人ずっと笑っていて

 

ものすごく楽しかった感覚があります。

 

 

そしてそんな父も12月に入ったころから、食が細くなり、痩せ始め、お腹が大きく(腹水)なり始めました。

 

妹から元気なうちに会いにきておいてって連絡が入ったんです。

 

それが、2週間前のことでした。