東京へのドライブ中にいろいろ感じていて

言語化できそう!

と感じたことです☆





道中ね、ナガシマスパーランドの横を通るんですよ。


ソラが必死で撮ってくれたんだけど 笑



ここ通りながら、泣けてね。




なんで泣けるかって
つい先日、長男、次男が休みを合わせて帰ってきてくれて遊びにきたなぁという思い出と



その時、とくに
長男が食べさせてくれた神戸牛の握り寿司がすごく感動が大きくて
それ思い出したり





たぶん7年前かな

うちが貧乏のどん底からすこし上がる兆しを見せ始めた頃

家族でほんと初めて
そう、ほーんと初めて☆
こういう施設に遊びにきたのもナガシマスパーランドで。




その時もまだもちろんお金が余裕で廻っている状態ではなかったから

かなり決死の覚悟というか

もうお金を喜びのために回すんだ〜〜!!の決意表明みたいな行動だったので


その時、夫と共有したそんな心も

そして子供たちの本当に楽しそうな姿も



ものすごく印象的で大きな思い出で


だから
私にとってナガシマスパーランドは
泣ける存在なのですよ。






それと富士山。

ここも家族での思い出が大きくて。


まず、とにかく夫が山が大好きな人で
仕事やプライベートで富士山の近くを通ると必ず写真を送ってきてくれるのとか


家族旅行でも富士山のそばに行くという目的で来たこともあるし


なんだか富士山に会えると

元気になるキラキラ

そして感動するの。


それやはり、今回もすごーく感じてね

富士山見るだけでめっちゃテンション上がってね。



そのふたつから気づいたんだけど

ほら

ナガシマスパーランドなんてとくに存在としては無機質なもの。

富士山だって、まぁ、世界的に有名な美しい山だとはいえ、山だよ山、ただの 笑



それらは変わらずそこに

ただある

もの

ですよね。


存在

それ以上でも以下でもなく。






でもそれらの存在に対して

わたしの心はこんなにも揺さぶられる、動く

感動する

のは

なぜかなぁと考えてたのです。




ナガシマスパーランドも富士山も
直接的にはわたしになにかをしてくれた訳ではない。




でも

わたし

その対象物との間で

たくさん感じたってことだけなんだ

と気づいたんですよね。





それってこういうモノとの関係性だけでなく

人との関係性でも言える。


恋愛でいうと

その彼が素敵だから

好きになるんではない、と思う。


これはわたし、ずーっと不思議に思っていたことだし
以前も何度か書いてると思うのだけど


好きな人ができた時
私たちはその人のことが好きなんだ
と思ってるけど
そうじゃないと思う。


だって現に
たまにわたしは好きな人を見ながら
我にかえる瞬間というか

あれ?わたし、この人のどこが好きなんだろう?

というか

え?この人、誰!?くらいに
ギョッとする時が何度かあった 笑




これ、我にかえる、という言い方をすると
この冷めた状態が本当なのかという感じがするけど

好きな状態が本当でも
冷めてる状態が本当でも

どちらでもないんだと思う。



わたしが好きなのは

その人、本体なのではなく

その人とわたしとの間で起きたこと


好きなんだと思う。


その人といるときに感じられる感情


恋してるのだと思ってる。



その人といるときに

たくさん心地いい感情を感じることが出来るから好きなのであって


その人といるときに心地悪い感情が増えたら

簡単にその人のことを嫌いになれる。




よく、彼の好きなところは優しいところです!とか言うのを聞くけど

優しさってそれこそ人それぞれだし

わかりやすく優しい人もいれば

行動の奥の奥に目を凝らさないと見えてこないような優しさを持っている人もいる。


とくにわたしは
後者のような優しさを持っている人を好きになる傾向があり 笑


優しいって言っても
表面上は優しくない人が好きで。



優しいというのも
その人の優しさのことを言ってるのではなく

その人のことを優しいと受け取れている
 
わたしの側に根拠はあるのだと思う。


そのあたりがごっちゃになって

その彼のことを好きだと思ってるだけだと思うのです。



なら

本当は私たちは

すべて、わたしの内側だけで生きてるってことになるよね。



人も

モノも

それら自体はただわたしの前に存在しているだけで



その人やモノと

感じているわたしがいて

2つの存在の間で感情が起こっていて

けどその感情を起こしているのは紛れもなくわたしであるから

やっぱり

すべてはわたしの内側なんだなぁという気づき。



ということは

なにを受け取るか?

なんだよね。




好きな人を前にして

なにを受け取るか?で

その人のことを好きでもいれるし、嫌いでもいれる。




どこかの場所に立ちながら

なにを受け取るか?で

幸せな気持ちにもなれるし、暗い気持ちにもなれる。




なにかのモノを目の前にして

感謝が溢れることもできるし

なにも感じないこともできる。



すべては

わたしが

なに


受け取るか

なのよね。