夜も更けるまで語らって、コトンとみんな寝ました。
 
朝。
 
おじさんの炊いてくれた茶粥。
 
お米から炊くそうです。
 
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あとは例のごとく、食べきれないほどのおかずの品々。
 
どれもね、薄味でちょうどよいのです。
 
こういう田舎料理って、ややもすれば味が濃くって苦手なんですが
 
おじさんのお料理は本当にどれも優しくて。
 
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材料はすべてここで取れたものや、おじさんの手作りでした。
 
詰め込める限り詰め込みましたよ(笑)
 
ほんと、美味しかったー。
 
 
この日も晴天。
 
祝福しか感じない。
 
ありがとう。
 
 
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向かったのは、本当は昨夕行くつもりしていた丹倉(あかくら)神社。
 
でも、今朝行くことになったのは必然です。
 
おじさんがお世話をしている話を聞いて、ここの由来などを知って、参れたのですもの。
 
おじさん自腹の駐車スペースもありがたく。
 
そして、やっぱり
 
朝だったのが必然だったと思われる流れに。。。
 
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写真では伝わらないと思うけども
 
この巨石こそがこの神社の御神体。
 
社はありません。
 
 
縄文時代のアミニズム。
 
詳しくは説明できませんが、こういった自然を崇拝していたんですよね。
 
今あるお社のある神社より
 
直接的で、力強くて、優しくて。
 
もちろん、今ある普通の神社は、そういうエネルギーのある場所に建てられていると言われています。
 
でも、歴史のさまざまな事情により
 
その本当の場所は裏にあったり、奥にあったり。
 
 
その本当の場所が実はそのあたりの波動を司っているそうです。
 
場を作るのは
 
このような圧倒的なエネルギーをもつ自然。
 
なにかとリンクしあって
 
調整をしてくれている存在。
 
 
それは特別なことではないのかもしれない。
 
 
わたしたちひとりひとりにだって出来ること。
 
 
わたしは
 
女とはそういう存在だと思っているから
 
こうして参らせていただき
 
エネルギーをリンクさせてもらい
 
持ち帰らせてもらうことにありがたさしか感じない。
 
 
どんどん禊ぎたい。
 
 
そうして
 
女として高まりたいです。
 
 
 
 
 
でもね、この岩の前に立つとその圧倒感とか
 
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岩の前の木の力強さとか。
 
 
そうしてね、思ったの。
 
昨日のお宿のおじさんは
 
この岩そのもののような人でした。
 
 
思えば、そりゃそうなわけです。
 
この山を買い、お世話をし、いちばん傍にいる人なんだもん。
 
 
御神体そのものみたいな雰囲気のおじさん。
 
当たり前だ。
 
 
岩とおじさんはつながっているんだもん。
 
 
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岩に木が生えているんです。
 
そこに陽(ひ)が差している。
 
最初に火(ひ)があって
 
それが土にあたると
 
温度差によって風が生まれ
 
水が生まれるという循環を
 
昨日、磯さんに教わったばかり。
 
 
朝、生まれたての「ひ」が
 
土に差していて
 
そこには命が育っていました。
 
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感動。。。
 
 
 
 
そのあと、これまた行くつもりのなかった場所へ。
 
昨夜おじさんが、ぼそっと行ったんです。
 
「大丹倉(おおにくら)にも行ったらええのに。」って。
 
 
そこは丹倉神社からまだ奥で。
 
けど、この日は天使ちゃんを九州まで帰らせてあげたいから、あまり寄り道できない感じだったのですけどね
 
行ってみようってなって。
 
 
そこがなにかも知らず
 
おじさんの「声」を頼りに。
 
 
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そこは昔の修験場だった場所らしく、大きな岩のてっぺんに立てるところでした。
 
 
行ってみたらね
 
 
 
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目の下には雲海!!
 
誰かが泣き叫んでたよ。
 
「わたし、雲海見たかったのーーー」って。
 
またご褒美。
 
わたしが前に住んでいたところも、実は雲海のよく出る場所で、数回見に行ったことがあるのです。
 
けど
こんな濃いの見たことない!!
 
 
それに、雲海は早朝に見れるもので、
 
このときの時間は朝の9時ごろ。
 
普通なら下にある霧は晴れて見れない時間です。
 
 
なのに、この濃さ!!
 
 
これを見せてくれたんだと、おじさんを通しての「声」は。
 
 
 
ここで雲海を見ながら
 
わたし、わかったんです。
 
 
 
それは
 
生きるんじゃなく生かされているんだ
 
ということ。
 
 
すべてはただ
 
なにか大きな運びに乗っかっていってるだけなんだということ。
 
 
自分で歩いているようで
 
歩かされていること。
 
自分で決めたようで
 
決めさせられていること。
 
自分でやってるようで
 
やらされていること。
 
 
そしてそれはなぜかって
 
すべてご褒美体験だからなんだ、ということ。
 
だってね
 
肉体を持っているからこそ感じられることがある。
 
 
空気の冷たさ
 
歩く岩場のごつごつ
 
寒さや距離を感じながら
 
疲れや不安を感じながらでしか
 
こんなに大きな感動は味わえない。
 
それらを感じながらに
 
こうしてご褒美みたいな出来事に出会っていけれること。
 
 
これ、もしね、カプセルみたいなものに包まれて
 
暑くも寒くもなく
 
足の疲れも、距離も感じず
 
ただただこんな風景を目の前に与えられたって、こんなに大きな感動はない。
 
 
きっとわたしの想像では
 
魂の世界はそんな感じで。
 
痛みはないけど、大きな感動も味わえないんじゃないかなって。
 
 
だから、ここに遊びにきている。
 
 
 
そしてね
 
わたしはこれまで「痛み」をたくさん味わってきた。
 
問題をたくさん解いてきた。
 
 
でも、シフトしたいって決めたんです。
 
 
「もらう」人生に舵を切ったんです。
 
 
そうしたら、もう
 
ここからはこんな風に
 
この旅が象徴しているように
 
ご褒美をただただ受け取っていくだけの人生になるんだなって
 
確信がもてたんです。
 
 
あとで書きますが
 
なにもこれまでの人生が間違いとかではなくってね
 
ただシフト完了したよ♪っていう
 
つまりは選べるんだよっていう
 
それの答えをもらった。
 
 
 
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大丹倉をしたから見たらこんな感じ↓
 
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あの岩の上のどこかに、さっきわたしたちは居て、下には雲海があった。
 
15分ほどあとには、霧は晴れてる、今ここ。
 
ね、あの時間しかなかったんだよ。
 
 
丹倉神社で思う存分感じて
 
おじさんの言ってたところ行ってみようかってなって
 
ぴったりの時刻に
 
だれが雲海を起こせますか?
 
 
こんなシナリオ誰が書けますか?
 
 
何度でも書くよ(笑)
 
 
誰がそんなシナリオ用意できますか?
 
 
それはだよ。
 
 
内なる声と
 
誰かを介して内側に届く声。
 
 
 
 
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そして、メインの玉置神社に向かいました。
 
 
寄り道したわりには、時間ぴったりに進んでいきました。