昨日から長男が帰ってきています。
 
まず、シュウマイのことは、また別記事に書こうと思います。
 
 
さっきまで兄弟5人とわたしで遊んでいた、宝探しのことを書きたいと思います。
 
 
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今日はわたしは朝から16時までアルバイトでした。
 
クタクタに疲れて、帰ってきたら、ベッドでごろんでした。
 
ベッドで寝ていたら、兄弟たちが何やら遊びを始めようとしているのが聞こえてきました。
 
そうなんです。
 
長男は遊びをゼロから作り出すのが天才的で
 
長男がいないとこういう遊びは始まらないのですが
 
帰ってきたときには、長男の号令で始まるのです。
 
 
宝探しゲームのようでした。
 
うちの散歩コースのあちこちに、ヒントやら暗号やらを長男が仕込んで
 
それらを辿っていき、最後にお宝に辿りつくというゲーム。
 
 
聞いているだけで楽しそうでした。
 
 
めっちゃくちゃ疲れていましたけど、一緒に参加したいと思いました。
 
 
長男がヒントや暗号を作っている間、わたしは庭に出て、犬を触りながら、景色を見ていました。
 
 
昨日、長男とふと交わした会話が思い出されました。
 
 
長男がいろんな話をする中で言ったのが
 
「たまに自分は前に進んでいるのか、もしかしたら後ろに進んでいるのか、わからなくなる」
 
 
それは17歳の青年の
 
本当に魂からの叫びに聞こえました。
 
 
彼には夢があります。
 
そのためにしんどいことも、つらいことも、堪えている状態です。
 
なにせ、15歳から社会に出ました。
 
ひとり暮らしも始めました。
 
わたしにも想像のできない心を感じて過ごしていると思います。
 
 
そんな中で無我夢中で
 
でも、たまに不安になるときがあるんだなぁ
 
そう思うと
 
母親として、ほんとたまらなくって。
 
わたしが苦しいのはぜんぜん平気なんです。
 
夫がもがき苦しんでいても、ちょっとつらくなるくらいです。
 
でも、自分の子どもが
 
まだ若い、経験も浅い、社会的立場もとても弱い、子どもが
 
不安と戦っているのだと思うと、いてもたってもいられない気持ちになるんです。
 
 
 
けど、俯瞰する目線で見てみると、人生にはそういう時もあるし
 
そういう時期が後々、人生の味わいを豊かにしてくれることも、わかる。
 
 
わかるだけに
 
そして
 
変わってあげられないだけに
 
胸がきゅーーーっと締まるような気持ちになるんです。
 
 
そんなことを感じていたら
 
泣けてきて。
 
庭で泣いていました。
 
 
そうしてぼぉっと感じていた時に
 
わぁっと湧いてきた想いがありました。
 
 
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もう、こうして兄弟が揃って、遊んでいるのを見ているだけで幸せだ。
 
もう、こうして、ただ集って、笑い合えることが幸せだ。
 
苦しみはなにかを目指すから生まれる。
 
ただ、暮らすことが出来たなら
 
どんなにどんなに毎日が幸せだろう。
 
正解なんて探すから、苦しくなるんだ。
 
正解なんて、探さなくていい。
 
ただ、この子たち(犬やヤギや鯉や植物たちのこと)みたいに
 
その場その場を
 
思考を使わず、ただ生きていられたら
 
どれほどに瞬間が輝くことか…
 
わたしはもう正解を求めまい。
 
いや、また求めてしまうことがあるけど、何度でも思い出したい。
 
正解なんてないことを。
 
ただ、そのときを
 
この体で、この心で、この目で、この肌で
 
感じることをすべてとして生きていけたら
 
苦しみなんて生まれない。
 
 
わたしはもう苦しみたくない。
 
苦しむ人を見たくない。
 
愛する人が苦しむのを見たくない。
 
 
こんなにキラキラした世界で
 
どうしてありもしない想像をして
 
ありもしない未来を怖がって
 
ありもしない妄想に捕まって
 
どうして今、苦しみを選びとる必要があるのか。
 
 
 
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目の前に愛する人がいる。
 
可愛くてしょうがない存在がいる。
 
可愛くて
 
愛しくて
 
たまらない存在と
 
こうして毎日は集えなくても
 
たまに集えたら、それでいいじゃないか。
 
 
例えば、それ以外の時間のことを
 
ジャッジしなくていい。
 
 
ただただ
 
目の前を味わうということがわかってきたから
 
それが出来ているときの
 
瞬間瞬間のキラメキがすごくって
 
いっつもこうして泣いているのです。
 
 
わたしの命の歓喜です。
 
 
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宝探しは、宝を見つけることだけにフォーカスしたら
 
ぜんぜんプロセスが楽しめません。
 
 
宝を見つけるまで
 
イライラしたり
 
がっかりしたり
 
あきらめかけたり
 
ほんの小一時間のお遊びの中にも
 
人生が詰まっていました。
 
 
プロセスすべてが楽しかった。
 
 
宝なんて、永遠に見つからなくていいや、とさえ、思えた。
 
 
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いつまでもこうして遊んでいたい。
 
 
それは魂そのものの願いなのかもしれない。

 
 
 
憂うことなかれ。
 
 
わたしは誰のことも憂うことをしたくない。
 
 
みんな大丈夫だと
 
いろんなことがあっても
 
それによって苦しむことがあっても
 
そこを見るのでなく
 
目の前で笑っている顔だけを見ていきたい。
 
 
そう思って
 
なんどもなんども泣いていました。