昨夜は長男と次男と草津で集合して(長男は京都でひとり暮らししているため)

 

一緒に夕飯を食べました。

 

こういうことは、初めてです✩

 

どうしてこの3人で集まったかというと、ふと先日インスピレーションで

 

二人には夫の生い立ちについて

 

今のタイミングで話しておいたほうがいいのではないか?と思ったからなんですよね。

 

 

夫は壮絶な生い立ちをしていて

 

わたしも全貌を知ったのは去年の秋。

 

人は本当に苦しかったことって、安易に語れないものなのだということを、まざまざと知りました。

 

 

なんで上のふたりには話しておこうと思ったのかというと

 

すでに自立している長男とこれから自立する次男なので

 

自分の親をひとりの人間としてフラットに考えられることは、これからのプラスになるのかな?って気がしたんですね。

 

特に次男は、二度の不登校になる際に

本人的にはとても苦しい想いをしていて

そのために生きることに希望を持てなくなったってことがあるのですが

 

それって比べられるものではないのだけど

 

一番身近にいる人が

それどころではない体験をしていたんだっていうことを知ることは

いいのではないかな?って感じたんです。

 

本人のタイミングによっては

まったく、この話が深く入っていかないこともあると思います。

 

思春期真っ最中で、親というものを厭わしく思っている最中だったら

また違ったと思うのですけど

 

次男は大きな波をこの春超えて

生きる希望を見つけたタイミングなので

もちろんこれらのことは、頭で考えた「後付け」のことで

 

とにかくインスピレーションが来たのが「今だ」と感じたので行ってきました。

 

 

改めて、3人で食事をすることなんてなかったし

どう切り出せばいいのか、、、

 

最初はわたしも緊張していたのですが^^

 

話すことが出来ました。

 

 

 

 

そこから、たくさんたくさん話しました。

 

 

なんというか

 

親子ですけど

 

もう、ひとりとひとりの対等な大人同士として

 

会話が続いていきました。

 

 

わたしも出来るだけ「親ぶらずに」

 

正直に話すことを決めてました。

 

 

取っ掛りは夫の生い立ちの話からですが

 

話はどんどん多岐に広がり

 

テーマは

 

命のこと

 

生きるということ

 

幸せって?

 

そんなことまで話し合いました。

 

 

いわゆる私たちがもつ「凹み」についても

 

その凹みの扱い方とかも話しましたね。

 

 

例えば、うちが経済苦に陥った話を

 

わたしたちがどう捉えているのか?とか

 

 

長男は身長が伸び止まりをしていて

 

そのことについて以前なら気にしていたと思うけど

 

こう捉えられるようになってるよ、とか

 

 

ポジな話ばかりでなく

 

どちらかというとネガな出来事や心を

 

どう扱うか?という話をどんどん話し合えたんですよね。

 

 

 

そしてメインテーマであった夫の生い立ちを聞いて

 

やはりショックの色は隠せないようでしたが

 

改めて父親のすごさを感じてくれたみたいだし

 

それを聞いて、さらにお父のことが好きになったと言ってくれたし

 

 

長男は特に競馬が大好きなので

 

競馬にたとえて

 

「自分はかなりの良血馬やわ」と嬉しそうに言ってくれました。

 

 

そして長男、次男とも

 

自分の親を超えられるかな?という発言をしてくれ

 

なんか、こそばゆくもあり

 

いやいや、余裕でしょ?と思うし

 

けど、まっすぐにまっすぐに

 

こんな出来損ないの親を

 

いいところも、悪いところも認めてくれていて

 

愛してくれていて

 

尊敬もしてくれていて

 

大好きでいてくれて

 

 

いろいろあったでしょうに

 

だって、一番わたしたちの歪みを受け止めてくれた二人だから

 

 

なのに、もうこの年齢で

 

まるごと

 

まるごと

 

受け止めてくれるんです。

 

 

 

本当に自立って

 

素晴らしいなぁと感じました。

 

 

自立するということは

 

自分という存在を自分で受け止め続けるということ。

 

 

自由を手に入れると同時に

 

そこに生まれる責任感

 

そこに生まれるさみしさ

 

 

ひとりで受け止めながら生きている息子たち。

 

 

ちょっと前までお乳飲んでて

 

ちょっと前までおしっこにもひとりで行けなくて

 

ちょっと前まで手がかかってしょうがなかったのに

 

 

今は自分のすべてを自分で受け止めて生きている。

 

 

 

その楽しさと同時にある

 

凹み部分がわかるからこそ

 

だってそれはもう

 

わたしたちと同じだから

 

もう、想いが溢れてしょうがないのです。

 

 

愛が溢れてしょうがないのです。

 

 

 

こうして

 

まっすぐに対話できること

 

昨夜、いつまででも話し合っていたくなって

 

あっというまに4時間が経って

 

満たされてるから、全然ご飯すすまなくって

 

終わりの時間が近づくと

 

また長男は別の家に帰っていくから、たまらない気持ちになって

 

でも、また来週、競馬に行く予定を立てているから、ましだねーって笑い合って

 

 

たまらない。

 

たまらない。

 

 

いつも思う。

 

 

繋がる幸せは

 

離れるさみしさと共にあることを。

 

 

 

このたまらない気持ちは

 

本当に生きているからこその豊かさだなぁって。

 

 

 

また、お互いに日々が始まるけど

 

昨日3人で作りあげた空間、時間の濃密さは

 

心の中であたたかく

 

励ましてくれるんですよね。

 

 

 

わたしも今日はアルバイトでしたが

 

心の中にぽっと昨日の時間が思い出されて

 

ふいに泣きそうになったり

 

温まったり

 

このつながり感こそ

 

幸せの正体なのだと思いました。