お宿は玲子さんが手配してくれたのですが

 

玲子さんもまさか!?な一軒家。

 

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鍵もかかっていない
 
だって泥棒がいないから…とオーナーの奥様^^
 
家の中はかつての住民の方が住んでいたそのままと思われ
 
ハートで隠しましたが、お仏壇にはおじいの遺影が。。。
 
最初、まじ?こわっ…って思ったんですけど
 
過ごし始めてみると、めちゃくちゃ居心地がよくって。
 
オーナーの若い奥様、当然のように、家にある三ヶ所の神様の祀っている場所を案内してくれました。
 
「ああ、ここではこういう神さまとの暮らしが当たり前なんだな」って感じました。
 
自然に、まずはその神さまたちにご挨拶をしてしまいました。
 
そして、なんともいえない安心感が広がったのもありました。
 
 
朝も早かったことなので、まずは夕飯食べて、そこからゆっくりしようと、集落の食堂へ。
 
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そこに突如現れたおじいが、三線引いて、唄ってくれたり。
 
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時間はあくまでもゆったり流れ
 
あくせくとは真逆の世界。
 
幸せ時間でした。
 
 
そこから道に迷いつつ、教えてもらった商店にお菓子やお水を買い込みに行き
 
宿に戻りました。
 
 
宿に置かれている本にトリックがいっぱい。
 
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やはり。。。
 
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おおー。
 
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むむむ。
 
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で、で、ですよね?
 
 
 
 
 
そして、トイレで大きいほうをゴニョゴニョしているときに(笑)
 
わたし、また「ふと」が来たんです。
 
 
「なんか、わたし、小学校の3、4年生の頃の自分みたいやなぁ」って想いが。
 
 
このときは、わたし
 
玲子さんといると、そうなれるんかな?と思っていました。(思考です)
 
だって、玲子さんは
 
わたしをへんに「ちゃみ扱い」しないし
 
自然体で、ほんと友達といるような感覚でいられたから。
 
 
ふとね、4年生の学級写真が浮かんでいたんですよね。
 
自分的にはその頃の自分が好きなんです。
 
なんでかというと、まだメガネをしてなくて、髪もストレートだったから。
 
 
それだけの理由なんですが
 
なんどもアルバムなどを見返すとき
 
その自分の見た目が好きだったから、よーく覚えているんです。
 
たぶんわたしの自分嫌いは5年生くらいから発動していったのだと思います。
 
髪質もくせ毛に変わり、メガネをしてぶさいくになったのですよ。
 
もちろん、思春期のホルモンバランスとかもあり、それよりも「自分嫌い」が発動したことがぶさいくになっていった一番の理由と思います^^
 
 
その好きだった
 
少女の頃の雰囲気が
 
今の自分にはあるなぁと感じたんですよね。
 
そしてそれ、玲子さんにも話していました。
 
で、話しながら、思い出したことがあって
 
過去に二度コラボでお仕事をさせていただいた「ばなな先生」が
 
小学校3~4年生ころの自分が一番本来の自分に近いんだよってお話されていたこと。
 
ちなみに、1~2年生だとまだ親の影響が強くって、5~6年生になると社会性を身につけちゃってるから…って、おっしゃってたような。(うる覚えです^^)
 
だから、本当の自分ってどんなの?ってなったときに
 
3~4年生のころの自分の好きだったことを思い出してみるといいよ~ってお話だったのです。
 
それを、玲子さんに話しながら、思い出しました。
 
 
 
でも、まだこのとき、繋がってないんです。
 
 
そして、眠りに尽きました。
 
あっという間に眠ってしまいました。
 
 
普段、枕が変わったら…的なもちゃもちゃした時間は一切なく
 
もちろん疲れていたといえばそれまでなのですが
 
家の中に流れている空気と
 
もっというと島全体の空気の安心感の中で
 
あっという間に眠ったんですよね。

 

 

 

で、夢を見たんです。

 

その夢で繋がりました。

 

 

 

わたしは夢の中である人に問いかけられて

 

こんなことを言ってたんです。

 

 

 

これまでの自分は「ただある」ってことが苦手だったこと。

 

だから、向上すること、拡大することばかり求めていたこと。

 

でも、どこまで行っても、安心は手に入らず、不安はずっと続いていたこと。

 

今はただ「あるがまま」でいることを心がけていること。

 

そして、

 

自分的にはここが一番響いたのですが

 

「でもね、わたしは「あげまん道」であそこまでなったことを、とても誇っているよ」

 

と言いながら、夢の中で涙ぐんでいたこと。

 

 

なぜ、ここが一番響いたかというと

 

わたしはどこかで「あげまん道」のちゃみを否定していたんですよ。

 

うすうす気づいていたけど、それって苦しかった。

 

だから次男の出来事があったときも、まっさきにここの後悔が出てきたし

 

頭ではそれは違うってわかっていても

 

脚光を浴びた時期は得たものも大きいけど、失ったものも大きすぎて

 

そこの傷が全然癒えてなかったのですよ。

 

それで、わたしはもう

 

「自分のことは使わないでください」って天に投げていたし

 

自分の中から「あげまん道」を排除しようとしたし

 

でも、当たり前のごとく、自分の一部を否定することは、苦しい。

 

 

次男のことがあって、打算的な生き方はやめようと思って

 

自分の身辺整理をしていくなかで

 

わたしはどこかで

 

「排除したら、いいんでしょ?捨てたらいいんでしょ?」という打算があることに気づいていました。

 

それ、違うなぁと最近思っていたんです。

 

 

そんな自分が

 

涙ぐみながら、

 

「過去の自分も誇ってるよ」と夢で言ってたのが

 

わたしの中で嬉しくて。

 

リアル世界ではまだ言い切る機会をもってないけど

 

わたしは明らかに夢の世界では言い切っていて。

 

 

そして、そこで夢から覚めて、朝の4時くらいでした。

 

夢うつつの時間って

 

いつもいろいろ「わかる」んですけど

 

昨日からの流れの欠片たちが、全部つながったんですね。

 

 

・天にわたしを使ってくださいとの祈り

・わたしは「可美」という名前である

・でも怖い

・小学校3~4年生の自分に戻った

 

 

夢うつつの中、思い出したことがあるんです。

 

 

たぶん、もう、7~8年前のことです。

 

当時仲良くしていた友人が、音霊(おとだま)の勉強を始めて

 

わたしの名前の音を読んでくれたことがあったんです。

 

 

そのとき、「かみ」と「ちゃみ」を読んでくれたんです。

 

当時すでに「ちゃみぱん」のちゃみさんでした。

 

 

で、もう、「ちゃみ」のほうは思い出せないのだけど、なんか「活動名」にぴったりねって感じのことを言われました。

 

表向きなエネルギーが「ちゃ」にはあったんです。

 

で、本名の「かみ」の「か」には

 

「隠れる」って意味があったことを、はっと思い出しました。

 

だって、「神さま」ってお隠れになってる。

 

あと「おかみさん」って表には出ないけど、隠れて重要な働きをしている存在。

 

この例をふたつ示しながら、その友人は「か」の意味を教えてくれたんです。

 

 

これを思いだして

 

わーーーーーーーーーーーーっとわたしの中に安堵が生まれました。

 

 

「そっか~、わたし、表にでなくていいんだ。」

 

「かみを生きるってことは、大それたことをまたしなくちゃいけないと思って怖かったけど、本来の自分の名前を生きるということは、隠れてする使命なんだ」

 

と、繋がったんです。

 

 

そっか。

 

わたしは「ちゃみ」と名乗っていた時間、表に出続けることになってたんだ。

 

目立ってしまってたんだ。

 

そしてこの旅は

 

わたしは本来の自分「かみ」に戻ったことを、気づく旅だったんだ。

 

だから、小学校3~4年生の自分が浮かんだりしたんだ。

 

だから、「かみ」として天に使っていただければ、もう怖いこともないんだ。

 

 

そんな気づきがすっこーーんとありました。

 

 

昨日感じたメッセージのすべてが繋がったんです。

 

 

そして、わたしは

 

「ちゃみ」として表に出ていた時期すら

 

もう包み込めたんですよ。

 

 

泣けます。

 

泣けます。

 

 

この気づきに包まれて

 

また眠りにつきました。

 

 

安心安全に眠れました。