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大阪の一等地でお店を持ち、板前として成功したいという夢を持っていた夫が

田舎暮らしをしたいというわたしの夢を選んでくれたいきさつです。



夫は15歳から板前修行に入り、カウンター仕事をしています。

夫の修行していたお店には、一流企業の社長さんなんかもたくさんお得意さんでいらして

その中のある会社の社長さんが話していた内容がずっと心に残っていたそうなです。


その社長さんは、女性が気軽にコンビニなどでお酒を買える時代がくればいいな~との想いから、桃のお酒などで大ヒット商品をだした会社の社長さんなんですが

こんな話をしていたそうなんです。


「夫婦になったら、いつか

 どちらかの夢を選択しなくちゃいけないときがくる。

 そのとき、男が自分の夢を叶えるということは、当たり前なんだ。

 でも、本当に一流の男は、パートナーになった女性の夢も叶えつつ、自分の夢も叶える男だと思う。」

というようなこと。(※言葉通りではないと思いますが)


10代の頃でしたが、この言葉がすごーく残っていたそうなんですね。


それで、わたしが田舎暮らしをしたいと言い出したときに、思い出したそうなんです。



それで、夫は

自分の夢を叶えることを後回しにし

わたしの夢を叶えることを決めてくれたんです。








人はいろんなことを言いました。


夫のそんな想いも知らず

わたしのそんな状況も知らず

訳知り顔で、もっともらしいことを

いろいろ言いました。


「(夫のキャリアが)もったいない」

「子どもがかわいそう」

「苦労するぞ」

などなど。



だけど、夫もわたしも、田舎で暮らすことを

それも、究極の田舎で暮らすことを決めたんです。


この頃からかな?

いや、もともとかな?



人は本当に無責任にいろいろ言いたいことを言うもんだということ。


だから、人の意見より、自分の想いのほうが大事だということ。




肌に感じながら、自分たちらしい暮らしを作っていきました。



生まれたての四男を抱きながら、いくつか候補地を見に行きながら

わたしたちが移住先として決めたのは、滋賀県朽木の針畑という山奥。



一番近い自動販売機は車で20分(10キロ)

一番近いコンビニは車で40分(22キロ)

小学校だけはあるが、全校生徒5人とかで

冬には雪が2メートルは積もるような、限界集落に。



最初は乗り気でなかった夫が

「どうせ行くなら、中途半端なところは行きたくない。」

そう言って、気に入ったのがそんな土地だったんです。



よく、「どうしてそこに移住したの?親元?知人は?」なんて聞かれるたびに

(ふつう)人は、知り合いやご縁がない土地には引っ越したりしないんだ~って

逆に驚くことが多かったくらい



わたしたちは、ただただ

今でいうところの「ピン」と「ワクワク」だけで

針畑に移住したんですよね。


ちょうど、長男が小学校に入って2ヶ月たった6月だったんです。

※これもよく不思議がられた(笑) (ふつう)一年生になる前に移るらしくって^^



念願かなっての

針畑での暮らしはとっても新鮮でした。