スクール生からリクエストいただいたので✩

前回からかなり飛んでしまいましたが、前回までのお話はこちらから✩





夫との結婚に至るまでを書きましたね。

そして同時進行でわたしはパンの道にのめり込んでいました。


会社員を3年少し足らずで辞め、大阪府茨木市にいらっしゃったパンの先生の元に通っていたということは、マイ・ストーリーの2で書いてます。


昼間はパン、夜は夫と出会うことになった割烹店という生活は結婚後も続けていました。

習っていたパンは、東京に大元の教室があり、そこに通うことで「師範」がもらえるというシステムでしたので、月に二度、東京にも通っていました。


わたしは実は不器用なほうで、なかなかパンの腕は上がらなかったのですが

この東京の先生がおっしゃってた一言が、その後のわたしにすごく大きく残る一言だったのです。


東京の先生は

「わたしもとても不器用なのよ。 でもね、不器用で上達するのに時間のかかる人は「良い先生」になれるのよ。だって、人のつまづく部分がわかるからね^^」

そう、おっしゃったんです。


よくスポーツ界なんかである「天才はよい監督になれない説」を裏付ける、真理じゃないかな~と思うのです。



この言葉は今も

パンの道においても、あげまんの道においても通ずることで

わたしはパンがなかなか上手に焼けなかったから、パン教室もできたし

わたしはめちゃくちゃ「さげまん」だったから、「あげまん」になる方法を教えられるということ。




パンと割烹店の生活を続けながらも、結婚して半年くらいで長男を妊娠します。
※実は結婚直前に一度流産しています。
 これは子育ての講演でたまにお話しますが、子宮の大掃除だった気がしています^^



お腹が大きくなるごとに、わたしの生活には制限が加わり始めました。


そして、出産。

長男の出産はいわゆる普通の病院出産でした。

5人の子どもの出産エピソードについてはこちらにまとめてあります✩
⇒ プライベート出産記



出産も最高ではなかったし、わたしの人格的にも未熟すぎましたので

出産は喜びにあふれ、涙を流すような感動的なものでもなかったし

それに続く子育ても、ぜんぜん楽しむとは真反対の状態で始まりました。



わたしはスクールでお伝えしているカバラ数秘でいうと「8-11-11」なのですが

わかる方はわかるように、「8」のパワフルでなんでも出来るという性質で人生の前半を生きてきていました。

「8」を持つ人は、勉強も出来る、お仕事もできる、なんでもソツなく出来るのです。


そんなわたしが、初めて「自分でまったくコントロールをできない状況」に置かれたのが、子育てでした。



寝て欲しい時に寝てくれない。

飲んでほしいのに飲んでくれない。

なにかをしたくても、自分次第でなく赤ちゃん次第。

それが24時間体制で続く生活。




これが本当に耐えられないことでした。



それなのに、同じくして親になったはずの夫は、なんの生活に変化もなく

彼はその頃若かったのもあるし、なにぶん、わたしが「さげまん」でありましたので

父親として、夫として、わたしのサポートをしてくれずに

仕事に行き、休みの日は昼まで寝ていたり、

だからわたしは不満ばかりのヒステリー。

夫はさらに閉じこもる、みたいな悪循環がここから始まったんですね。



わたしの心の中はいつも目の前のことを否定していました。


寝ない子どもを見ては、もっと寝るはずだ!
※本当に長男は寝ない子でしたヽ(;▽;)ノ


育ちの悪い子どもを見ては、もっと食べなさい!
※長男はすごく体の小さな子でしたヽ(;▽;)ノ


アトピーである長男・次男を見ては、環境問題にはまりこみ、世界が悪い!
※玄米食べたり、ゴミを出さないようどこへもマイ箸マイタッパ持って行ったり、高いお金払ってオーガニックの通販取ったり、、、書いてて吐きそう


夫が家にいれないのは、職場が悪い!
※夫に不満ばかり、それでも改善しないときは、職場に乗り込んだこともある、、、ああ、過去のわたしに吐きそうだ




家にいても、誰もわたしを評価してくれない。

でも、評価されたいから、目の前の問題をなんとかしようと戦う。

アトピーと戦う。

食べ物と戦う。

社会と戦う。

最愛の夫と戦う。

愛しい子どもと戦う。



そしていつまでもいつまでも戦っていたのは


内なる自分と、でした。



それにまったく気づけぬまま

子どもだけは次々と授かり

1歳になったら次の子がお腹に入るという流れが続き


わたしは4人の子持ち

イライラヒステリーばばあに成り下がっていたんです。



4人目なんて、避妊してたのに来たからね(笑)



わたしには、あとに続く5男ソラも含め

この5人のナイトたちが必要だったんですよね。


ガチガチで

出来ると思い込んでいて

自分だけが正しくて

誰も信頼してなくて


そんなわたしに



もっともっと笑っているだけでいいんだよ

出来なくていいんだよ

みんな素晴らしいんだよ

もっと頼って甘えたらいいんだよ



そんなことを伝えるために


そしてきっと

わたしに伝えきったら

わたしが世界に飛び出して、たくさんの女性に伝え出すことわかってて


きっとそこまでわかってて


わたしみたいな未熟でどうしようもない女の元に


勇気をもって飛び込んできてくれた魂たちだと今はわかります。



一番目に来た長男は、本当にチャレンジャーです。

わたしにたくさん叩かれました。

罵声を浴びせ続けられました。

それでも大切なところは潰れない強さを教えてもらいました。

わたしが親からもらった一番深い部分を癒してくれました。



次男はアトピーがひどかったです。

わたしのストレスをお肌を通して伝え、そして浄化し続けてくれました。

弱くっても、敏感でも、泣き虫でも。

なにも出来なくても、存在するだけでいいってことを教えてくれました。

弱さを強さに変えていく姿も見せてくれました。



三男はオアシスでした。

底抜けに明るく、手もかからず、初めて子育てで楽を体験させてもらいました。

普段は手がかからないのに

時に彼にとって「否」なことがあると、石のように動かなくなることがあり

その姿に「自分を通す強さ」を教えてもらいました。



四男は強すぎる子でした。

人がどうであろうと、自分は自分。

望まれなかろうが、嫌がられようが、自分の思うように振舞う強さを見せてもらいました。

強いものにも立ち向かう姿

悔しいときは感情を爆発させてスッキリしていく姿

わたしが望まないのにお腹に入ってきたこの子はそんなことを教えてくれました。




そして5年空いて来たソラについては、また書きます。




ああ、朝から泣いてます。



この子達がいるから、今のわたしがいます。



わたしの要らないものを根こそぎ、落としてくれました。





わたしの子育て論はそんな体験に基づいています。


そんなお話をさせていただく機会が、5月(大阪)と6月(京都)にありますので

そのご案内は次に再アップしておきますね✩