その1 こちら
その2 こちら
その3 こちら
その4 こちら

でね、背景をここまで丁寧に見てきました。

それで、わたしのことを書きます。



わたしは威圧的な父のもと、いい子でいたかったです。

これは子どもとして当たり前のことです。

わたしの父には学歴へのコンプレックスが強くあって
そんな父の期待を一心にわたしは勉強のできる子であり続けました。

そして無理がなかったのは、わたしは勉強ができましたし、そんなにそれが苦労でもなかったんです。

あとから思うと、わたしにある数秘「8」がそうだったんだと思います。

数秘を知っている方ならわかると思うんですけど
「8」はとても実務が得意です。
計算も得意、先を見越した行動をぱっぱと取ることも得意。

そしてとてもパワフル。

子どもでいうと、じっとしてないタイプです。

一言でいうなら、「デキる人」が多いです。

だから、勉強もできるし、仕事させてもある程度なんでもこなせます。

欠点としては、「デキない人の気持ち」がわかりにくいってところがあるんです。



わたしのこの才能を選んで生まれてきたと思っています。


そして少女時代のわたしは勉強ができるから
父にとって誇れる存在にはなれましたが
妹のように「いるだけで愛されている」感覚はまったく持てずに育ちました。


デキるし、その上パワフル。

つまり、やっちゃうんですよね~。

だから、怒られる機会もたくさん作っちゃうわけです。


そのまま、このデキる能力を、自分の才能でしかないと疑わず
というか、疑いませんよね。

これ、ある心理セミナーを受けたときの用語でいうと、「強い手札」って言うんですけど
人には誰でもみっつほど

「この手札を切っていれば、必ず評価を得られる」

と、思い込んでいる才能があるそうです。



わたしはそのセミナーで自分を振り返りまくったときに出てきたんですけど

・いい子でいること
・個性的でいること
・とにかく行動・実践

という三つの手札を持っていると思います。


これ一生変わらないって習ったんですけど、今ちょっとずつ崩壊中です。


わたし的には持ち続けていると、可能性を狭めてしまう才能だと思ってます。

とくに二番目の「個性的でいること」なんて根強い気がします。

これすら捨てて自由になりたいものです^^


※この手札、鷹揚スクールでやりますね✩



で、このままの手札を持って、わたしは生きてました。

ここぞというときに、切り札として、この才能を使ってきました。

独り身でいたときは、これがほとんど悪いほうには出なかったんです。

だってサヌキ社会。

結果をだすことが必須であり
わたしは「いい子」で「個性的」で「行動・実践」ができる人でしたから。



だけど、結婚して、パートナーシップをつくりあげていく段階にはいって
始めてこれらの才能が邪魔をし始めました。


そのいい例が昨日書いた「池のはなし」です。

本にもたくさん書いてますよね。


あげまん道~アラフォーからの女の生き方レッスン 



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※あと100冊ないです。それで絶版^




わたしの才能は、「さげまん」そのものだったんです。

だって人の活躍する場所までもを奪うんですもの。

ひょえー




結婚や、お付き合いするパートナーとの関係ってほんとおもしろくって
自分の世界が広がるために選んでいるようです。


だから、わたしのパートナーになった夫は
わたしとは真逆の才能をたくさん持っている人でした。


「タブーを超えられる人はやさしい」

という記事でも書いたように、真逆の世界観に触れることで
わたしの世界は広がりました。


そこを一番そばで

生活という大切な基盤を支え合う相手として

つまりは生活していくってことはめちゃくちゃ利害関係が絡む部分で

どんどんどんどん自分壊しをやっていくんですから

そりゃ~もう、人生最大の修行みたいな感じで。


もちろんよく「結婚とは修行だ」っていうのは、そういう部分だけを指していて
わたしはパートナーシップのデッドゾーンを超えた先に行ってない人の言葉だと思っていて

そこを超えていった先に、ものすごいロマンスがあるんですけどね^^

二人がどちらも自立したうえで、共存していくステージです。

いろんなものを創造していけるパラダイスのような段階です。

※これも鷹揚スクールでするね(^_-)-☆



だけどデッドゾーンの手前は、散々なわけです。



お互いの価値観を壊しあって

あらたに創造しなおす。

破壊と創造を繰り返すんです。



この過程でわたしが最初にしたことは「降伏」だったんですよね。



どんな降伏かって

わたしは「デキない人間なのかもしれない?」


恐ろしい程の降伏でした。


だってわたしはそこまで「デキる人間」として生きてきていたんだから。

デキるから父から認められていたし

デキるから社会から認められていたし

デキるから結婚生活を営んでいる(と思っていたし)

デキるから子育てもできる(と思っていた)



だけど、こと結婚・子育てに関しては

頑張ってもがんばっても思うような成果が得られず

さらに頑張り続けてもダメで

ついに

ついに



そんな感じで降伏したんですよね。



最初の降伏って、それまで生きてきた価値観を

「もしかしたら?」

「えっ?違うの?」

そんな風に疑ってみることが第一歩目なんですよね。




これは怖いことですよ~

それまで何十年かそれで成果を得てきた自分を壊すんですから。


だけどね、人生って素敵です。

宇宙って優しい。


そう思うのは、降伏せざるを得ないほど、ちゃんと追い込んでくれるんですよね(笑)



わたしは大好きな夫との関係が最悪に落ち込みました。

愛して愛したい子どもをどんどん愛せなくなりました。

もともと質素だったのにさらにお金が奪われていきました。

事故多発

病気多発


ここまで追い込まれなければ、わからなかったわたしです。


本当にえらそうにできないわけです



だから、あげまん道的子育て論のDVDの冒頭で泣いてしまいました。


わたしが一番できない人だったんです。


だけど、それこそが才能になることができたんです。


人生って不思議です。


きっと先生という立場には、それが最悪ほどに苦手だったからこそなれるんですね。




だから、夫が次男のことで言ってた意味がわかるんです。
(これ、つぎの記事で書きます)



降伏から幸福が始まりました。


これがわたしのあげまん道の基本でした。


それが循環することが先日わかったんですよね。


それを次から書いていきたいと思います。