その1から続きです。


わたしたちの母親世代の結婚・子育て背景を書いてみました。


そこから想像されることは

わたしたちの母親は幸せではなかった

なんですね。



そんな母親が娘を産み、育てました。

そんな母親たちにわたしたちは育てられました。


そんなとき子育ての中で、言葉の中や外やあらゆる場面で
母親たちからわたしたちはこんなメッセージをもらっている可能性があります。

例えば
・女なんて損してばかりよ

例えば
・結婚したっていいころなんてないよ

例えば
・子育てなんてしんどいことだ

例えば
・男なんて信用しちゃいけないわ

例えば
・あなたも男の人ばりに働けるようになっておくべきよ

例えば





書いてて暗い気持ちになりました。

だけども、これって現実です。


そしてなにも母親たちはこんな「呪い」を娘にふっかけて
娘を不幸にしてやろう~!って思っていたわけじゃないんです。


母親たちは必死で娘の幸せを願ったはずなんです。


ただ、母親たち自身が幸せじゃなかったから。

夫が仕事にばかり行って、話も聞いてくれない。子育ても手伝ってもらえないことが
寂しかったんです。

自分には社会でお金を稼ぐ能力がないことが
悲しかったんです。

一生懸命夫や子供に尽くしても、ありがたがられるどころか邪険に扱われ
女ってなんて損な生き物かと思ったんです。


『だから、あなただけはこんな想いをしなくていいように』


そういう愛から生まれたメッセージだったはずなんですよね。




わたしたちは生まれたときは白紙だと考えられます。
(※前世の記憶とか、魂の記憶とか、潜在意識の共有部分とかはおいといて^^)


毎日一緒に暮らしている中で
大好きなお母さんから
憧れの女性から

つまり、ほとんどの人にとっては初めて接触する女性であるお母さんから

毎日のように「女としての恨みつらみ」のようなメッセージを受け取り続けていたとしましょう。



女であることを、どう思っただろうね。

今みたく、ありのままで素晴らしいとか思えたかな?

姫でいていいんだ、なぁんて、ひっくり返っても思えないよね。


男の人と同じくらい頑張ったら幸せになれるんだ。

だから、楽ちんな仕事でなく、大変な仕事を請け負えるわたしになったらいいんだ。

お勉強もがんばろう。

いい大学に入って、いい会社に入ろう。

そのほうが、いい人と出会える可能性も高いし。

とにかく、頑張ろう。

頑張らなくっちゃ~!




そして、その上
「わたしが幸せになって、この目の前の不幸せそうなお母さんも幸せにしてあげたい」

そんな風に思うものです。

それに漏れず、わたしもそうでした。

アルバイトなどでお金を得られるようになったとき
よく母親と旅行に行ったり、ショッピングに行ったりしたものです。





ひどい言い方をしますが
目の前に不幸そうな母親がいるってことは、公害です。


まったく子どもたちが
自分を生きられなくしてしまうくらいの公害なんです。


これはたくさんの女性とお話をしてきて、確信しました。


不幸な母親って、百害あって一利なし。

いや、あるかな。


わたしたちアラフォー世代(だけじゃないですが^^)が

女性として自分を大切にすることを忘れ切った末に

自分の体を壊したり、大切な人間関係を壊したり

そんな中でなにが間違いだったかに気づいていく、このプロセス✩


これを楽しませてもらったという「一利」ならあるんです^^



でも、こんな遠回りはもうよくって、わたしたちの娘ちゃんには渡したくない
めんどーくさいプロセスですよね。



だから、今、わたしたちは

自分を癒すことに必死なんです。

だから、今、わたしたちは

セミナー受けたり、セラピー受けたり、

学んで、自分をクリアにすることに、目がないんです。



この流れおかしいですよね^^


わたしたちの母親は、ここまで自分癒しに必死ではなかったはずです。

ハマって、宗教みたいな^^


だけど、わたしたち世代のこの学びブーム、癒しブームって
数十年前からしたら、異常ですよね?


だけど、やらずにはおれないし

それはわたしたちのアワがそれが必要と感受して、動いていることだから。



もちろん、家計が破綻するまで自分癒しをするのはナンセンスだと思いますが

この自分のアワが感受して、生まれる欲求って意味があると思うんです。


「むしょーにやりたい!」ってことには、とても意味があると思うんです。


これはね、地球レベル、もっというと宇宙レベルで起こっている

サインだと思います。


完全に動かされているって思います。


なんで?


それは、今の日本にそれが必要だから。


日本の女性が目覚めることが、とっても大きな意味があるから。



わたしはね

この流れに飲まれながら

ただの主婦だったわたしが全国にお話に行かせてもらうようになった

この流れに飲まれながら


ずっと感じていたこと。


必要だから起こるってこと。


起こっていることの理由探しには意味はない。

でも、それでも起こっているんだということ。




過去の女性と比べる必要なんてなくって

今のわたしに起こっていることを、認めていくこと。



わたし、おかしいんじゃないかな?

こんなにやりたいの、ダメでしょ?


そんなジャッジの裏には、たった一昔前のおかあさんと自分を比べているから。

そんなつまんない理由があるんです。


お母さんはしてなかったけど

わたしはしたい!


それで、事足りるんですよね、ほんとは。



だけど、「お宮分け」ができていないわたしたちは、それをすることが死ぬほど苦しかったりするの。


話がそれそうだけど、こう流れたので

次はお宮分けのことを書きますね。