次男が最近あまり眠れないんだって言ってます。

それは、今に始まったことではなく
中学校に入っていつからか、夜中の3時頃とか、ときには朝5時くらいまで起きていたりする子でした。

それで学校で寝ちゃうんですけどね。


本人が訴えるんだから、特に最近眠れないんだろうなって思って
だけど、「不登校」時のお約束で、

・朝はみんなと同じ時間に起きること
・一日ひとつは手伝いをすること

と、決めてます。


そして、できるだけ、昼寝ちゃわないよーに、見張ってます(笑)



でね、話を戻すと、とっても「イライラ」している様子。

今の自分の陥ってる状況に、焦躁感があるのかも。



ここで思い出したのが

キューブラー・ロスの「死の瞬間」


いつごろだっけ~?

若い頃、この人の著書、貪るように読んだ時期があったの。


「死」に向き合っていく病気の人が、どんな段階を経て、死んでいくのか。

そこに着目し、研究したお医者様なんです。


死を受容していくにはご段階あって、まず(wiki参照)

第1段階 「否認」

患者は大きな衝撃を受け、自分が死ぬということはないはずだと否認する段階。「仮にそうだとしても、特効薬が発明されて自分は助かるのではないか」といった部分的否認の形をとる場合もある。

第2段階 「怒り」

なぜ自分がこんな目に遭うのか、死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階。

第3段階 「取引」

延命への取引である。「悪いところはすべて改めるので何とか命だけは助けてほしい」あるいは「もう数ヶ月生かしてくれればどんなことでもする」などと死なずにすむように取引を試みる。(絶対的なもの)にすがろうとする状態。

第4段階 「抑うつ」

取引が無駄と認識し、運命に対し無力さを感じ、失望し、ひどい抑うつに襲われなにもできなくなる段階。すべてに絶望を感じ、間歇的に「部分的悲嘆」のプロセスへと移行する。

第5段階 「受容」

部分的悲嘆のプロセスと並行し、死を受容する最終段階へ入っていく。最終的に自分が死に行くことを受け入れるが、同時に一縷の希望も捨てきれない場合もある。受容段階の後半には、突然すべてを悟った解脱の境地が現れる。希望ともきっぱりと別れを告げ、安らかに死を受け入れる。「デカセクシス(Decathexis)」とキューブラー=ロスが呼んだ状態である。この状態で最期の言葉を残すことが多い。




これが「不登校」という事象にも当てはまるのかはおいといて

ふと、イライラを見せる次男を見ていて、このプロセスを思い出したのでした。





でね、昨日の夕方も、お散歩に行きながら
「どれほどに自分が苦しいか」を話してくれました。


わたし、話してくれるの、嬉しい。


そして、わたしももう、彼の感情に巻き込まれすぎなく立て直せていたので

彼のどっちつかずの言い分がとっても幼稚だと思ったので

思い切って、突き放してました。


だって、「どっちつかず」って、ただ「決められない」だけだから。



そこから、黙り込んでしまって
お散歩から帰ったら、布団に潜り込んで、そのうち寝てしまっていました。


「寝れてるやん」とちょっと可愛くなって

こんな時間に寝ちゃってどうかな~と思いつつ
朝まで寝てくれることを願って、そのままにしておきました。



そうしたらね、夜中に起きてきました。

ごそごそとなにか食べているみたいだったので、お世話しに起きていきました。

残り物を温めてあげて、寝てたな~って話して

本人が「これから寝られへんかも」そう言うから

「あっ」と思いついて、「こっちで寝るか?」って誘ったんです。



ふすま一枚で、夫婦の寝室と子どもの寝室を分けているんですが
昨夜は夫が帰ってこなかったので、まるっとひとつ寝る場所がこちらにはある。


「そっち、みんな寝てるし、起きとくのさみしいやろ?
 お母も寝るけど、こっちおっていいで~」って。


そうしたら、来た


うれしかった。



ほんで、少し話して、わたしはすぐ寝ちゃったみたいで

だけど、一度目を覚ましたとき、次男も横ですやすや寝ていて

安心感って言葉が巻き起こりました。



それでね、前後わからないけど

この夜、わたしめちゃくちゃ意味深な夢を見たんです。


そこまで辿りつかなかった。


それは、次に書きます。