昨日と今日と、同じようなことが続いたから、これも書きなさいのサインだと思う。

まずは昨日のことです。

中2の次男が学校の授業中に貧血で倒れたらしいんです。
小学生のころから、たまにありました。

保健室の先生からわたしに電話があり、貧血の報告をしてくれながら、大きなお世話な愛をくれました。

「みのり君に聞いたらね、朝ごはんを食べてないというし、それからおかあさんお忙しいようですが、精神的にさみしいのではないかな?って。
 おかあさん、よくみのり君とお話してあげてくださいね。」

受話器口で笑いそうになりながら、聞いていた。

面倒くさいときは、わたしは明るく「はい、はい」と答えるだけ。
本音のコミュニケーションはとてもエネルギーを使うから、どうでもいい人には使わないんです。


・朝ごはんはいつも食べないんですね。

世間ではまだまだ朝ごはんが大事だと考えられているようですが、ちょっと世界を広げて勉強している人は知ってますよね?
一日一食で若々しく健康な人とか、不食の人とか。
本人が食べたくない朝食を、大事と信じて疑わない幼稚さに笑えました。

・わたしが仕事が忙しいことと、彼の貧血に1ミリも関係がないんですね。

それはわたしが一番わかること。
どこの誰よりもデリケートにアンテナを張っている部分。
それはわたしの仕事が子どもにどんな影響を与えているか?

外からはなんとでも思うだろうけど、わたしと子どもたちと、夫もいるなか、積み重ねてきた絆があるんです。
外野にはわからない、コミュニケーションで繋がっているんです。
純粋に言ってくれてるのがわかるからこそ、笑えるんですよね。


もちろん、先生に悪気はないことはわかってる。
愛だとわかってる。




今日もありました。
びっくりでした。

ネイルサロンに行こうとしている車中で携帯がなりました。

四男(4年生)の担任の先生から、電話です。

「おかあさん、けいじろうはおかあさんが恋しいんや。」
いきなりでした。

よく聞くと、しんどいから家に帰りたいと言ってるらしく、だから迎えに行ったんですよ。
ネイルに連れていってもいいと思って。

でも、すごくおかしいと思った。

車に乗り込んだ四男はものすごくスネた顔をしていました。

「機嫌が直ったら、話してな」
そう言って、放置していました。

30分くらい経ってから、話してくれました。

1時間目が終わったら、頭がガンガン痛くなってきた。
先生に言ったら、「(次の)算数が嫌やから言ってるんやろ?」と言われたらしい。
 ↑
 これは、悲しくて、恥ずかしいことだと思います。
 ここに言ってる本人が暴露されてますよね。
 嫌なことがあったら、頭が痛くなる人なんだってこと。


四男は「違う」と言ったらしいのですが、そのまま2時間目の算数を受けたそうです。
たぶん、気分が顔や態度に思いっきり出る子なので、拗ねて手がつけれなかったのだと思う。

そして、上のわたしへの電話です。


四男にね、「おかあのこと、なんか言ったんか?」って聞いたら、教室にじっと座ってたら、先生が来て「お母ちゃんが迎えに来てくれる」っていうことだったらしく

「おかあちゃん仕事ばっかり行ってたら、さみしいか?」
念のため聞いたら
「ぜんぜーん」と言われてしまいました(笑)


これを我慢しているんだ、安心させようと思って言ってるんだ、そういう想像もできるでしょうが。

説明するまでもなく、言ってるテンションとか、それより普段一緒に接している中で
こういうことは母親のアワがちゃんと感知しているものです。


あとで先生に電話しました。
四男の担任の先生は話せばわかってもらえる先生なので。

「先生、頭の中にストリーがあったんじゃないですか?」
「わたしはたしかにここ1ヶ月くらいは家にいないことが多いですが、子どもたちとお父さんとちゃんとコミュニケーションを取って支えあってます。
 わたしはそれを言われるとつらいです。」

そう言いました。

そうしたら、先生のほうも
「ストーリーがあったのは、そのとおり」だと認めてくれました。

それからいろいろ本音のお話をしました。
この先生とは何年もうちの子がお世話になりながら、本音のお話をしてきた先生なので、そこは妥協せず伝えたいんです。



でね☆

こういうテロってどうにかならないかな?ってあらためて思います。

わたしは今でこそ大丈夫だけど、まだまだ罪悪感とともに自分を大切にすることをしているママにはキツイ一言になると思うんです。

さんざん子どものために生きてきて、それがうまく行かなかったから、あげまん道を実践しているママは、最初は泣く思いで積み重ねていってたりするんだもの。

もちろんテロに合うことで、軸を太くしていくプロセスもあるけど。



せっかく2日連チャンでテロにあったので(笑)、、、今日は書いておこうと思うのです。



今でこそ、わたしが思うのは、母親信仰は幻です。

赤ちゃんはママのおっぱいは大好きです。
ママのおっぱいと胎動で聞いてた声、そんな安心感はたしかにあるとは思います。
そこは否定しないけど。


だけど、赤ちゃん時代を過ぎた子育ては
父親がやっても、祖父母がやっても、兄弟でやっても全然大丈夫だと思います。

赤ちゃんじゃない子どもがどうしても母親になつくのは、それは母親側にあるアワの器が原因なんです。

アワの器は、「なんでも受け入れてあげたい」
そんな想いが作らせます。

これがあるから、自分を殺してでも相手に尽くすし、自分を差し置いて相手のことを考えてしまうのです。

器にあるところには、要求が入ります。

アワの器の扱いをコントロールできない人は、断れないってことが起こるんですね。

それは、「遊んでよ~」になるし、「抱っこしてよ~」になるし、「買ってよ~」になるんだと思います。

サヌキがちな父親なんて、さくっと子どもの要求を断りますよね。

逆に父親だってアワがあるから、受け入れられるんです。

それは母がしなくちゃいけないことでもないし、父がしたっていいことなんです。

得意な人が担えばいいんじゃないんでしょうか?



子どもがわたしから離れない!と嘆いているママには、器の話をよくします。

あなたが離れてほしくないんですよ。
そこに気づいてもらいます。

自分で肯定できない自分の存在価値を、子どもに頼られるということで満たしている場合、暗にこういう状況を作ります。

「わたしがいなきゃ困る」
その状況を作り出して、満たしているのは自己承認の足りない部分です。


相手が子どもであっても「ちゃんと断る」って大事だし、納得できないときに自分を「与える」ことは、後になって結局「奪う」んだよって。

これは経験者なら、すぐにうなづく傾向でしょ?


話が逸れましたが、この悪循環を止めたいからの、「先に自分を満たしてね」なんです。

放っておいてもアワは与えるから、「自分のことだけ」と過激に伝えてちょうどよかったりします。


母親信仰って、アワの器の話なんです。


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