これは、5、6年生不登校を経験した次男が、

中学2年生の今、作文で書いた想いです。

次男の許可を得て、こちらでシェアさせていただきます。

想いをわかってもらえる大人の人に読んでほしいそうです。




今の思い(アホからみんなへ)

これからかくことは、まだだれにもはなしたことのないものばかりです。

きょうだいや親にもはなしたことがありません。

理由は理解してもらえないからです。

たぶん、みんなも、もしかしたら理解できないかもしれません。

そのときは、アホとかバカとか思ってください。

みんなしっていると思いますが、わしは不登校でした。

だれにも思いが理解されず、怒られてばかりでした。

わしは、あまり怒らない性格で、弱虫だから、いいかえすこともできず、ストレスをはっさんもできなくて、どんどん苦しくなってきました。

そしてよく、フラッときて、たおれました。

そのへんから、1週間に2~3回ぐらい休むようになりました。

朝おきると、ほぼ毎日37度以上ありました。

そして最後の日、むなぐらつかまれて、言われました。

「お前はアホか。東小の連中、もうできとるぞ。お前の何倍も賢いぞ」

それを言われて、初めていいかしました。

わしは
「だからなんやねん。西小と東小がちがってあたりまえやろ。ちがうばしょなんやから。
 学力ちがったって、あたりまえやろ。
 お前こそ、何でほかとくらべんねん。ワシがアホやのも、お前らのおしえ方がアカンからや」
と、言いました。

そして、1時間おこられました。

帰り道で泣きました。

そして不登校になりました。

もしわしが不登校にならなければ、考えが同じだったと思います。

「わたしの思い」で不登校のことはけっこう言ったと思うので、いってないことをいいます。

6年生になってから、けっこう外に出ることになって、家のしごとをするようになりました。

そして、いつもかんがえていると、どんどん先生がバカらしくなって、1人でくるったみたいにケラケラわらっていました。

なかなか元気になれず、泣くこともありました。

なにも変わらないし、なにも新しくならなかった。

泣き続け、恨み続けて、心がおかしくなってきて、外に出ることもなく、動くこともなく
自分を見失っていました。

人が信じられなくなり、人がきらいになり、受け止めることもできなくなりました。

だから、自殺が頭からはなれなくて、なんども死のうと思いました。

そのどうしようもない僕を助けてくれたのはお母さんでした。

くるいかけた自分に毎日話しかけてくれて、昔のことや、お母さんが苦しかったことやつらかったこと、しんどかったことなどを話してくれました。

気持ちや考えがわかってもらえた気がして、ちょっとずつ心がかるくなっていきました。

でもはじめの方は、親も信じられず
「どうせてきとうに子どものなかましてたらええやろ」と思ってるって、自分にそう言い聞かせました。

それでもお母さんは話してくれました。

そのおかげで元気になっていきました。

小6のときは、少しだけど外に出て、手伝いをしました。

でも、まだ泣くこともありました。

あと〇〇くん(ひとつ上のお友達)も心のささえになりました。

どこかで僕をまってくれている人がいる。そうだから、まだ死ねないと思いました。

そして、ある日、お母さんが僕を笑わせてくれたときに、僕のちっぽけな心に「1からはじめる」という言葉が出てきました。

6年の7月ぐらいのとき、けっきょくどんなに恨んでも、どうにもならず、けっきょく開き直るしかないと思いました。

この不登校のことを長所にするしかないって、自分にいいきかせました。

そしてちょっとずつだけど、学校に行きました。

前の弱虫の自分じゃない。

もうだれからひていされても、わるぐちをいわれても、強く明るく自由に自分の人生を生きる。

そうきめました。

先生はみんな同じように勉強させ、あそばせ、まるで、みんなあやつり人形のようにもてあそんでいます。

でも、それって、おかしいと思います。

だって人間って、ひとりひとり別の個性を持って生まれてきたものやろ。

それをあいつら、原始人以下のゾウリムシの分際で、人として一番大切で、無くてはならない個性を無くそうとしているクズ(先生)もいる。

だって、あれもダメ、これもダメ、いちいちきめつけられたら、ぼくら何もできない。

ゆうとうせいになれなくてもいいし、イヤなことはイヤでいい。

人に迷惑をかけんかぎりは、自分は好きなようにすればいい。

先生に怒られても、笑ってすごせばいい。

怒られっぱなしでは負けやから、そのときは怒り返せばいい。

それ以外に、勝ちを保つ方法はない。

学校なんか、まともな神経してたら、陽気になれるはずがない。

しかも苦手な勉強やって、なんの意味があるのか。

人間ああわなりたくない。

人と同じことができなくたっていいやん。

人と同じになろうなんて不自然すぎる。

頭が悪かったらその分、頭のかたいことでもじまんすればいい。

どんなにブスでもなれれば見れる。

笑われて、はじをかかず、そのときはおもいっきりいばればいい。

わしは、世の中の歯車よりも、世の中を味付けをする調味料になりたいと思ってる。

たぶんこれをよんでるみんなは、わしの気持ちを理解しているかはわからない。

もしかしたら理解できなくても、ちょっとは伝わってくれたらうれしいなぁ。

もしも、もう二度とあえなかっても、わしは忘れないと思います。

もしいつかあえたら、さいごに一番伝えたいことは

「人に合わせて器用に生きる人たちがいる。

 自分を信じて生きている人たちがいる。

 どちらが幸せなのか、今の僕にはわからない。

 だけど…たった一度でいいから、自分を輝かせてみたいと思う。」




今の思い(先生)

先生とかいたけど、みんなもよんでください。

ぼくは先生が大きらい。

だってせいとをガラクタあつかいするんやもん。

これからかくことは、西小で先生の前でいったことです。

ちょっと泣きながらいったので、よくおぼえています。

まったく同じことをかきます。

「まずお前らにききたい。生徒を何思っとんねん。
 
 いっとくぞ、お前らゴミよりなぁ~わしらの方が位は上じゃあ。

 お前らこっちが毎日学校きてるおかげで、お前らめし食ってんねやろ。

 それなりのたいおうせんか。

 学校の先生やってんねやったら、せいと大切にせんかい。

 お前ら家にきたおきゃくにどなったりしんやろ。

 お金をもらってるきゃくに、かみの毛切れとか、ゆうんかボケ。

 かみの毛そめんなって言うんか。

 お前らナメとったら、ブチ殺すぞ。

 お前らぎむきょういくのいみ知ってんのか。」


ちょっとこっからは、本当のことをかきます。

このことをある人にいうと、次の日なぐってアホといわれ、キレそうになりました。

しんじないかもしれません。

でも本当のことです。

しんじないなら、パソコンで調べてください。

さいごのぼくのおねがいです。

続きを書きます。

ぎむきょういくっていうのはな

「子どもが学校に行きたいって言ったら、親はお金が無くてもいかせなきゃならない」

という親にかかった物です。

たぶんみんなかんちがいをしていたと思います。

「でも、わしには、先生のやっているしごとはぜったいできないし、くろうもしりません。

 だから、もんくゆなとか、思うかもしれないけど、わしはそのしごとより、せいとを大切にしろって言いたいだけ。これだけいって、わかってくれた先生は1人だけです。

わかってくれなくても、あたりまえと思ってるけど、わかってもらえたらうれしい。」


さいご

今、みんながよんでいるとき、わしは何をしているかわかりません。

でも元気にやっていると思います。

もしわしがみんなからきらわれていて、今お祭りをやっていて、1分後にわすれられてもいいけど

みんな、先生や悪い大人に負けず、

自分と友だちと

地球に1つしかない、無くなると二度と手に入らない、自分の個性を大切に

自分の人生を明るく楽しんでください。