今日、近くの神社に初詣に行ってきました。
ゆっくりマイペースを守っていたら、今日になったのです。
以前は、初詣はどんなお天気でも元日に行くものだと思ってました。
実際、吹雪の中、わたしが行こうと提案して行ったこともあります。
あの時、夫は嫌がっていたなぁ。
なつかしい思い出です。
自己信頼感が空っぽだから、「~すべき」で自分を塗り固めていたこと、今ならわかります。
自分の決めた「~すべき」を守ることでしか、ちゃんとやってる感を味わえなかったんです。
でも、いくら塗り固めても中が空洞だから
やってもやっても満たされないのループの中でした。
自分を信頼する種を、いつも外に見つけようとしていたんです。
だけど、自己信頼感なんて、自分でどんな自分にも
◎をつけることでしか得られなかった。
山奥の無人の神社には、3日に参る人はいないみたいで
昨日降り積もった雪がそのままでした。
行きは長男が末っ子を肩車して、帰りはわたしがおんぶして参りました。
本殿の前で思ったことは、
「この子達を9年間すくすくとこの土地で育ててもらったこと」への感謝でした。
じゅわ~んと胸で湧き上がり、泣きそうになりました。
このじゅわ~んという感謝の思いが、一日のあちらこちらで感じられることこそ
幸せっていうんじゃないかな?
当たり前の毎日の中で、どれだけ感覚を開ききって
ありがたいことを見つけられるか。
それは、能力です。
誰でも磨けば持つことのできる、力です。
朝のブログでも書いたけど、お宮に守られるという感覚。
小1だった長男が、春には中学校を卒業します。
ハイハイしてた四男が、4年生になりサッカーに夢中だということ。
この土地の空気を吸って、水を飲んで、ここで育ったお米を食べたりしながら
末っ子が産まれたりしたということ。
なにか大きなものに包まれている感覚を忘れたこともあったけど
自分ひとりの力なんて小さくて、包まれる感覚こそ、降伏だった。
わたしたちはこの土地に住まわせてもらいながら、いつもこのお宮の神様に守られてきた。
そして、わたしの子どもはわたしというお宮からも二重に守られているんだ。
神社の前にあった雪山でプロレスごっこを始めた息子たちを眺めながら
この5人の子たちを育んだわたしの子宮ってすげぇと思った。
たまに子どもたちを距離を置いて見るとき、この子たちがわたしの体の中で芽生え、育って、生まれてきたこと、嘘みたいに思うときがあるんです。
ほがらかに
ただただ平穏に
当たり前のように過ぎていく毎日で
じゅわ~ん
じゅわ~ん
感じられるわたしが気持ちよければ、あとはすべて心のままに。
うまく廻る。
それが人生だと、悟ってしまった。
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