さて、ゴマのお産以降のお話です。



ゴマが立派な母猫になるのを見せてもらった

その3ヶ月後に、ソラ(五男)がお腹にいることがわかりました。


まさか、まさかの妊娠で

そのときは夫婦仲が大荒れの時期でもあったし

また、ちょうど「ちゃみの森」の建物を建て始める年でした。


私たちにしたら、大きな初めての借金をし

高島市でビジネスプランとしてグランプリをもらったあとだったから

市内のいろいろな方の協力をいただき

一大プロジェクトみたいな感じで

進んでいっているそんなときでした。



もう、慌てまくりました。


まったく自分のことしか考えられませんでした。


まず、ローンの返済。

夫と二人で働いているから、余裕をもって返済計画を立てたのに

私、働けなくなるじゃん。


それに

こんなに市内のたくさんの方に関わってもらっていて

「これから!」っていう時期に

わたし、妊娠したなんて言えないや。


両親にも恥ずかしくて言えない。

もう、いい年だし(38歳)、計画性のなさを露呈することになるし


どーするのーーー。

っていうパニックな感じでした。


妊娠の喜びを感じることができませんでした。



でも、お腹の子はすくすく育っていきます。


結局、両親に言えたのは、こちらに遊びに来ちゃったから

妊娠5ヶ月に入ってから


プロジェクトに関わってくれていた人には

最後までひた隠しにして

自然とお腹を見ながら、みんなが察していく…みたいな


なんとも情けない状態でした。


つわりも、長かったです。


こんなに長い期間、受け入れられなかった妊娠だもの。



心とは裏腹に、成長していく赤ちゃん。


産むことも考え始めます。


大阪にいたときは、実家近くの助産院でしたから

こちらでも探しました。


少し遠いですが、福井県の敦賀でいい助産院を見つけました。

友人もそこで産んでいたり

評判もすごくいい助産院でした。


妊娠の確認にそこに行き、

あとは安定期の5ヶ月に一度検診に行きましたが


あまりにも良心的な助産院であったこと


そこでお産はお世話にならないつもりだったことが

すごく気も引けたし


やはり助産師さんとしては自力出産を勧めたくはないことがわかるのとか


繊細に感じてしまっていたので

検診にさえも行きたくなくなりました。


5ヶ月の検診に行ったきり

臨月になるまで、わたしはそこにさえ行かなくなってしまいました。


出産予定日も私を後押ししてくれました。


1月の中旬だったのです。


このあたりでは一番雪が深いとき。


もし、病院なり助産院でのお産を希望していたとしても

天候によっては下りていけないことがありえる

そんな時期を選んできてくれた赤ちゃん。


夫は自力出産には大反対をしていましたが

雪でどうしようもないときのために

勉強だけはしておこうという雰囲気にもなれたのが幸いでした。


検診に行こうとしない私を

よく、夫は黙って見ていてくれたなぁと思います。


私は夫が最後まで了解してくれなかったら

強行突破するつもりでした。


陣痛がきても、夫に告げず

ギリギリでどうしようもなく、してしまえばできる、くらいのことを

考えていましたね。


怖い人ですね~。わたし。

夫さん、ほんとご愁傷さまですよね(笑


そんな私に根負けしたのか

最後、本当に臨月に入ってから

夫は承知してくれました。


そして、夫に勧められ

時々心配で電話をくださっていた敦賀の助産院にも

検診に行くことにしました。


本当に素敵な助産院だったので

ここが嫌いでそうしないわけではなかったから

最後に優しい助産婦さんに顔見せをできたことで

なんだか、ほっとしたものです。


そんな成り行きで

私は家で一人で産む準備を進めていきました。


次にはどんな勉強と

こころの準備をしていったのかを書いてみたいと思います。