愛猫ゴマが亡くなって

自分のお産記をもう一度ちゃんと書きたいという思いが湧いてきました。


だって、ゴマのおかげで

私は五男ソラを自宅のお風呂でプライベート出産(自力出産)

できたのですから。


【最初に】


私はあくまでも自分の体験から

感じたこと・考えたことをつづっていきます。


何かをお勧めしたいとか

何かを強く否定する目的はありません。


だって、どんなお産も素晴らしく

そしてお産できない体も崇高で美しく

どんな命も素晴らしく

そこに良いも悪いもないからです。


……………………………………………………



私はこれまで妊娠は7回経験しています。

最初の妊娠と、6度目の妊娠は流産でした。


そして、5人の男の子に恵まれました。


5回のお産の体験をまとめて書いていきたいです。



私のお産体験が贅沢だったなぁと思うのが


病院でのお産

助産院でのお産

そして、自力出産


この三つを経験できたことかと思います。


違いがよくわかりましたから。



まずは長男のときのことから。


実家近くの市民病院でのお産でした。


この頃は、今から思うと何も知らなかったから

何も考えず

何も調べることもせず

疑いもなく


妊娠したから、近くの市民病院に行くのだという選択をしました。


病院から言われるとおりに検診を受けに行き

エコーで見るわが子の成長に喜び


初めて経験する「陣痛」というものが、とにかく怖くて

お腹が大きくなってくると

しんどいから早く産んでしまいたい気持ちと

陣痛が未知のものすぎて怖い気持ちと


ずっとフクザツな気持ちで過ごしていました。



その頃は実家から離れた大阪市内に住んでいました。


夫は板前さんで夜も遅い仕事だから

何かあったときのために、と

予定日の数日前から実家に帰ることにしました。


たった予定日を5日過ぎただけでしたが

この実家での滞在は

どんでもなく苦痛でした。


朝から晩まで

「どうもないか?」

「陣痛はまだか?」と

父や母から聞かれつづけ


それでなくてもお産前のナーバスな時期に


イライラや悲しみのマックスになってしまったのを覚えています。


父や母に悪気はないことは

100も承知でも


この時期とくに

妊婦さんの体はものすごい量のホルモンの変化が起こっているらしく


ささいなことが気に障るし


ここから始まる育児へのスタートが

もしかしたら、うまく切れなくなる可能性もはらんでいるなぁと感じています。


どうか、そばにいる

旦那さんやご両親は

そっとそっとしてあげてほしい時期であります。


5日遅れたけど、陣痛が始まりました。

思えば、日曜日でした。


夫がお休みなのは、その日しかない

ちゃんとその日を選んでくれていたこと


まさか赤ちゃんにそんな能力があるなんて

知らなかった無知な私は気付きもしてなかったのですが。


朝、陣痛が始まって

病院に電話したら、「まだ来なくて大丈夫」とのことで

ただただ家で陣痛を感じていました。


お昼の1時頃、病院に行きました。


が、まだまだ

歩けるし、ご飯食べれるしって状態で。


陣痛室というところに入ったのは夕方ころ。


その頃、また気のきかない父(笑)は

久しぶりにあえた夫が嬉しかったのか

外に連れ出し

自分の友達に紹介したりしてました。(もう、ったく~


陣痛室では母がずっと付き添ってくれていて

腰をさすってもらえました。



初めての陣痛。


どこまで激しくなってくるのか、わからないのです。


こんなに激しいのに

たまに様子を見に来る看護師さんには

「まだ7センチね」などと言われてしまう。(10センチ子宮口が開くとお産だと言われている)


今思うと母でよかったのかもしれない。


夫は茶化してくるタイプだから。

イライラ、もしくはわかってもらえていない寂しい感じになったかも。


でも、時折様子を見に来る看護師さんが

そのときは当たり前だと思っていたけど

次、助産院でのお産のときには全く違って

感激することになるのです。


体には、いろんなものが巻かれていました。


まず、点滴。

そしてお腹周りには太いベルト状の装置。

これは、陣痛の波を機械的に記録していくもの。


途中、浣腸もされました。

もうお腹いたくて、動くのもしんどいときに

浣腸で腸が動かされ、トイレに行かなくてはいけないつらさ。


今思うと、ありえないことばかり。



でもやっと、子宮口が全開になり

激しい陣痛の合間に

隣の分娩室に移動していきました。


これも、つらかった。

けど、ゴールが見えていたから、頑張れた。


分娩台は、ご存知のように

足を大きくおおぴろげて、仰向きのアレです。


煌煌と明るい蛍光灯の室内で

ここで、やっと登場、お医者さま。


たくさんの看護師さん。


陣痛の波がきたら、「いきんで」と言われます。


もう、この時期はいきみたくってしょうがなくなっているので

それができることが嬉しかった。


何回かいきんで、たぶん、その頃合になったのでしょう。


なんと声をかけられたかは忘れましたが

会陰を切開しました。


これは、わたし

なんか常識くらいに思っていたから

されたことに、ショックはなかったのです。

麻酔したんだっけ?(ここは記憶があいまいです

痛みもなかったです。


そして、次にいきんだら、赤ちゃんが出てきました。


分娩台に乗って、たった5分ほどの時間でした。



今でこそ、生まれてすぐの赤ちゃんとの肌のふれあいの大切さが言われていますが

今から14年前のここの病院ではそういうことはされていず


なんと私のお股から出てきた長男は

すぐに遠くに連れていかれ


まず泣かなかったので、お尻を叩かれたのか、何か刺激を受け

「わぁ~ん」と泣いたところで

「よかったですね」という感じになり


そこから測定やお風呂とかかな

ずっと離れたところで処理されており


わたしはわたしでまだ分娩台のうえ

胎盤の処理や

切開したところを縫合してもらっていて


やっとわが子を抱けたのは、しばらくたってからだったのです。


それも、もう産着を着せられた状態で。



わたし、感動で泣くかなぁと思ってたのです。


だけど、わが子を抱いても

なんの感情も湧いてこないのです。


正直に言いますが

「かわいい」とすら、思えなくて

びっくりしたほどです。


これは、私の考えですが


この長男のお産では

本当に大事なところがすっ飛ばされてしまったと。


その後の子育ても

本当にうまくいかなくて


あくまでも未熟な私だから、そうだったのかもしれないのですが


何か大事な瞬間を逃してしまったお産だったなぁと感じるのです。


あ、書き忘れましたけど

出産の場面には夫の立会いはなかったです。


父と帰ってきて

外にはいたようですけど(笑


すべての処理が終わって

やっと夫と会えて


そして、2時間くらい私は分娩台から動けないから

夜も夜なので両親や夫たちも帰宅して


赤ちゃんはというと

「新生児」室にいれられて、離れ離れ。


本当になんだか、ぽっつりしたお産だったなと思います。


次の日から

病院で決められた時間に「新生児室」まで行って

おっぱいをあげたり、オムツを変えたりします。


これも今思うと

決められた時間に赤ちゃんが起きているわけでもなく

お腹がすいているわけでもなく

うまく飲んでくれない子がいるわけですよ。


もう、病院の中で

できるママとできないママみたいに分かれてしまって


たくさん飲んでくれる子を抱いているママはにっこりで

どうしても飲んでくれない子のママはしょんぼりで


あと、預けられているあいだに泣いた子は

看護師さんにミルクを与えられるわけだから

タイミングが合わないときは

永遠におっぱいを吸ってもらえない。


初乳という、大事なおっぱいをあげたくてもあげられないシステム。



わたしはその頃その病院で選べたシステム

母子同室というのを選んでいました。


入院4日目からは

選べば同じ部屋に赤ちゃんを連れてきてもらえるのです。


そこは何かの勘で

ちゃんと一緒にいるほうがいいのじゃないかと

感じられていたのかもしれません。


でも、4日目から同室になっても

最初に湧かなかった感情が

湧いてくることはなかったです。


赤ちゃんが怖いような

ものすごいものが横にいるような気持ちになり


まさに産後うつ。


泣けてしょうがないので、夫の職場に電話したくらいでした。


退院して、実家に帰っても

両親の過干渉が本当に無理で


私もイライラしっぱなしで


赤ちゃんはすごくすごくいつも泣いていました。


今思うと

ありえないくらいよく泣く子だったし

ありえないくらい寝ない子だったし

抱き癖とか言ってられないくらい、一日中抱っこの子でした。


大変だったけど、両親の過干渉のほうが私には無理で

早々に夫と住む部屋に戻りました。


でも、戻っても夫がそばにいてくれるわけでなく

日中は一人きりで

ご飯もお風呂もできないくらいに

赤ちゃんは泣き続けるので


本当にわたし、おかしくなりそうでした。


そんな日々が半年は続きました。



だから、わたし、ちょっとわかるのです。


泣く子を激しくゆすってしまう親の気持ち。


ベランダから放り投げてしまおうかと思うくらいの気持ち。


わかるのです。



そうしてしまうことは、たぶんいろいろな原因があると思います。


だから一概には言えないのですが

私の場合は、お産によって入るはずのスイッチを

入れ損ねたことも大きいなぁと感じているのです。


すぐにわが子を抱けなかったこと

おっぱいをすぐに吸ってもらえなかったこと

別室で過ごしてしまったこと


すべてすべて私の無知が起こしたことだったのだけど

今でも悲しくてせつなくなります。


長男にいつか、軽い気持ちで

「クラは生まれてすぐに泣かなかったから、お尻か何かたたかれてたよ」

って、言ったとき


すごい必死で「それ、かわいそうやん!」と強く言われたこと。


そうよね。

ほんまに。


この世に生まれてすぐにされたことが

「処理」だったなんて

せつなすぎるよね。


会いたくて会いたくて

やっと会えるはずのママの胸でなく


不必要に明るい部屋で

誰だかわからない人に

あれこれ扱われたことが

生まれて最初の体験だなんて


そんなのせつなすぎる。


書いていて、泣けてきました。


本当にごめんなさい。



私の最初の出産は

こんな感じでした。


ただ最初に書いたように、どんなお産も最高で最善です。


根拠はないけれど

そう考えるほうが好きだし

実際、そう考えると自然です。


後悔ばかりのような、長男の出産体験も

あとから、いくらでも取り返すことができるし


最高のスタートでなかったことで

工夫したり

右往左往したりした

その体験もすべて私には誇らしいからです。


長いのに、読んでくださって

ありがとうございます。