さて、お産本番のお話を書きましょう。


もうすぐで3年になるのですね。


すでになつかしい思い出になってしまっています。



出産予定日は、わたしの場合、検診に行ってなかったので

最終月経から計算するしかなかったのです。


通常、病院などで検診をきちんと受けていれば

赤ちゃんの足の骨や頭蓋骨の大きさなどを測って、

そこから予定日を修正していったりするのですが。


ただ出産予定日をそこまでして厳密に見ていくのって

今では、そのことに何の意味があるのだろうって

思ってしまいます。


予定日って、わたしにとっては

百害あって一利なしのように感じます。


だって予定日があるがために、お産に早い、遅いができてしまいます。


赤ちゃんと胎内にいるときからコミュニケーションを取っている人は

赤ちゃんに生まれてくる日を聞き出したりできるということは、有名です☆

カレンダーを指さしながら尋ねていくと

その日のところでお腹をキックしてくれるとか。


赤ちゃんはちゃんと自らの思いで

いつ生まれてくるのかを決めているようです。


陣痛を起こすためのホルモンは

母親側から出るのでなく、赤ちゃんの側から出てくるといいます。


だから、お産は

完全に赤ちゃん主導で始まるものなのです。


うちも、どのこも

完璧なときを選んで生まれてきました。


もう、お腹に赤ちゃんが宿ってからは

いろんな意味で完全に乗っ取られた状態。


食べたいものもちゃんと要求するし

生まれてくるときも決めているし

だから、おまかせしていれば大丈夫なわけです。


そ、前置きが長くなりましたが

わたしが自分で計算した出産予定日は1月13日でした。


予定日というものを念頭におくと

一日遅れただけで、「遅れた」と認識してしまうものなのです。


赤ちゃんはそんな計算式で出てきた日とは

違う計画をしているのに

母親の頭の中にはどうしてもその日辺りとインプットされてしまうのですよね。


お産とは、待つことです。


それはいつ陣痛が起こるかというのもそうだし

いざ、陣痛が起こってからも

待つことが重要になってきます。


乗っ取られた体は

母や、医療者がどうにかコントロールするものではなく

ちゃんと意思をもった赤ちゃん本人が

どう生まれるか、に任せるしか、本当はないのだと感じています。


わたしはよく運動をしていましたが

結局陣痛がまったく来ないまま、なんと2週間近く

それから待つことになります。


待つ2週間とは、ものすごく長いものです。


病院なら、まず促進剤で産まされるパターンです。


一般的には予定日を2週間遅れると

胎盤の機能が落ちてくるので危険とされ

病院の今の風潮では、一週間も待たせてもらえないのではないでしょうか?


赤ちゃんを信じていたから、待てました。

この子がまだなのだから、まだなのだろうと

いい聞かせていた、というのが正しいのかも。


おかしなもので、不安になってくると

この子は生まれてこないのではないか?とか考えてしまうのです。

ありえないほどに、この頃の妊婦はナーバスです。


そして、23日の朝におしるし(少量の出血)があり

すぐお産になるのかと思ったら

そこから3日まだ待たされて(笑

26日の夜、やっとやっと規則正しい陣痛がやってきました。


夫もちゃんと帰宅していた夜の10時ごろ

陣痛があると、顔をしかめなければいけないくらい

ちょっと会話もとだえてしまうくらいになってきました。


夫はサッカーの試合を見ていましたが

わたしが顔をしかめる度に心配そうにこちらを見てくれるのが

何故だか落ち着かなくて

本当はもっと切羽つまってからお風呂に入るつもりにしていたのですが

一人になりたくてお風呂に入ることにしました。


お風呂は腰湯程度にして、お塩をたっぷり入れておきました。


そこから5時間、ずっとお風呂にいたことになります。


夫はサッカーを見ながら眠ってしまったようで

でも、それですごく安心していました。


心配顔でいつかいつかと傍におられるほうが

わたしにとっては、しんどいことでした。


人によっては、ずっと旦那さんが付き添っているほうがいいのでしょうが

わたしはすっごく一人でいれることが有難かった。


思う存分、気兼ねなく

陣痛の波に乗りながら

お腹の赤ちゃんと会話しながら

見えない存在たちにずっとずっと祈りながら、お風呂場で過ごしていました。


5時間とかいう時計が刻む時間とはかけ離れた

違う空間に浮かんでいたかのような

本当に不思議な時間でした。


時間の感覚などなく

ただただ体が主体で思考はない。


あれを心理学ではピークエクスペリエンス(至高体験)と言うのでしょう。



極寒の時期に、寒くなかったのかとよく聞かれますが

全く寒さは感じませんでした。


お風呂がぬるくなったら、少し追い焚きをしました。


陣痛が起こると腰を浮かせて

ちょうど膝まづくような格好で乗り越えました。


前にも少し書いたかもしれませんが

しゃがむ格好が一番重力がうまくかかり

赤ちゃんにとっても、妊婦にとっても

楽な格好になるのです。


陣痛の合間にはぺたんと座り込み、休憩します。


陣痛が激しくなってきて

1分感覚とかになってくると、声が出ました。

でも、この陣痛が来ないと生まれてこないことを知っていたから

つらいけど、嬉しくてたまりませんでした。


ずっとずっと待っていた陣痛。

待って待ちにまった陣痛。

わたしは陣痛が激しくなるたびに、「ありがとう」と独り言言ってました。


本当に極まってきたときに

大声を出して夫を起こしました。


夫はお風呂場の入口にきて、頭をなでてくれました。


破水をしました。


もうすぐです。


記憶がもうおぼろげなので、順序を間違っていなければ

股の間に風船のようなものが先に出てきたのを覚えています。


卵膜だと思いました。

破ったほうがいいと判断し、爪でぎゅっと破りました。

けっこうしっかりしていて、なかなか破れませんでした。


そして、激しい陣痛が数回来て

頭が出てきたのがわかりました。


腰を浮かせて、夫に見せました。


そこから、わたしの理想では

まったくいきむことなく、陣痛の力だけで自然に赤ちゃんに出てきてもらいたかったのですが

数回陣痛を乗り越えても、まったくそこから進みませんでした。


もっと待てたらよかったなぁと、そこは後悔なのですが

もう、会陰が切れてもなんでもいいから

出したくなりました。(ちなみに会陰はすり傷程度)


だから、陣痛に合わせて、二回くらいいきんだら

お風呂の中にツルリと全身出てきました。


その辺りから、もう記憶がなくって

ものすごい興奮状態ですからね。

夫に聞いた話では、夫がお風呂に落ちた赤ちゃんを拾い上げて

わたしの肩に載せてくれたそうです。


その後、すぐに夫がカメラを撮りにいき

写真を撮ったものがあります。


赤ちゃんは激しく泣いていました。


さかのまことさんの本などで勉強していたので

これは照明が明るすぎるからだ、と気づきました。

(それでもうちのお風呂の照明はかなり暗めなのですが)


夫に頼んで電気を消してもらったら

赤ちゃんがすぐに泣き止み

目をうっすら明けて、周りを見回すような様子をしました。


あまり知られていないことなのですが

生まれたての赤ちゃんにとって、外の世界は明るすぎるのです。

蛍光灯なんて、もってのほか。

だって、ずっと薄暗い子宮の中で暮らしていたのだから。


赤ちゃんは生まれたら大泣きするもの

泣いて、肺呼吸が始まるから

泣いたらOKみたいなイメージが広まっていますが

本来はほとんど泣かないのです。


明るくて、目が痛くて

病院などでは寒くて、いろいろされるのが嫌で

泣いているのだと思われます。


泣かない赤ちゃんとしばらく、お風呂の中で過ごしました。

20分くらいは、居たのかな。


静かにしずかに興奮していたのが

落ち着いてきて

やり終えた充実感やら達成感やら

感じていたのではないでしょうか?(もう覚えていない)


この時間がとても大事だと思います。


この産後すぐのこの時間を

誰にも邪魔されてはいけないのだと思います。


何を話すでもなく

ただ肌を寄せ合って、ピークエクスペリエンスの情報を交換し合う。

体をひっつけているだけで

いろんなスイッチが入れ替わっていく感じ。


ここに他人が介入しなければしないほど

質の高い時間になることは

間違いないでしょう。



でも、そろそろ寝室に行かなくてはいけません。


これだけが大変でした。


だって、まだ胎盤は子宮内

つまり、股のところからへその緒がぶらんと垂れていて

赤ちゃんとつながっていて

おまけに出血も少ししているし

めちゃくちゃ歩きにくいのです。


バスタオルを股に挟み

赤ちゃんを抱き

自分もタオルに巻かれて

なんとも滑稽な様子で部屋まで歩かなければなりませんでした。


やっと布団に行って、まだ服は上しか着れないから(なんせへその緒が)

だから、上だけしっかりはおって、胎盤が出てきそうになるのを待っていました。


待っていると、少し軽い陣痛みたいなものが起こったから

逃さずそこで洗面器の上にしゃがみ

軽くいきんだら、大きな大きな胎盤が

赤ちゃんと同じく回転しながら、ぬるりと出てきました。


見たところ、どこも欠けていないような完全体でした。


ここで、やっと安堵です。

これでお産がちゃんと終了したことになります。


へその緒は急いで切りません。

拍動がなくなって、へたりとしてからで十分なのです。

切らなくてもいいという考えもあるようです。


夫にお願いしました。


ぎこちない手で切って、木綿糸で結んでくれました。


あとは、布団で一緒に眠るだけ。


本当に安らかで幸せなときでした。


さっきまでお腹の中にいた子が

横にいる奇跡。


誰のちからも借りずに、ちゃんと産めたことへの感謝。


本当にたまらなく素晴らしい時間でした。



一人でのお産をやってみて

誤解を恐れずに言うなら


まったくこれが自然なことなのだと感じました。


何も怖いことなんて、なく

自然すぎるくらい自然なのです。


だって、わたしたち人間はずっとこうして命を繋いできたのですから。


機械も器具もない時代から

薬も何もない時代から

こうして、命は営まれてきたのです。


もちろん例外があることは、わかっています。


医療が必要な場面があること、わかっています。


でも、そこに至る前に

どこまで自分を自然な状態に戻しておくかって

重要だと思うのです。


精神も体も自然な状態であったなら

お産も自然に流れるように

進んでいくのではないでしょうか?


デタラメなものばかりを食べていたり

ストレスをいっぱい抱えていたりすると

自分の体を信じられないから


不安要素があればあるほど

人まかせにしてしまう。


外に求めてしまう。


情報やデータが欲しくなる。


これはお産だけの話ではなく

生き方全般にそうなっていくのではないでしょうか?


人まかせは、一見楽です。

だけど、何か起こったときに

それで心から納得できるのでしょうか?


人まかせ=人のせい、に

ならないのでしょうか?


何度か書きましたが、今の現状においては

誰彼にでもプライベート出産をおすすめすることはできません。


だけど、わたしの思う一番いいお産は

誰からの介助も受けずに

一人きりになってするお産です。


これはわたしの体験です。


あなたの体験ではありません。


何かの参考にはなさっても

すべてを自分に当てはめようとしないでくださいね。



さて、ここまで書き上げたので

本を書いていこうと思います。


体験はここでは書きましたが

まだまだ私には書きたいことがあります。


何が出てくるやら。


楽しみにしていてください。


長い長い体験記を読んでくださり、ありがとうございます。