昨日は毎年 年賀状をやり取りしている
人たちに喪中のハガキを
送るべく宛名を書いて
いたりしてたが、
ハガキでなく最近はラインでも
年始のご挨拶をしている人たちには
ラインで年賀のご挨拶の欠礼を
報告等をしていた。
お悔やみの言葉や父をよく知る人から
思い出話や歌を歌ってたこと等の
話題になり、
以前にここのブログにも何回か
載せた父の歌を
もう一度載せて偲んでいただければと
思い再記載です。
この情熱という曲はレキントギターを
父が購入し、
レキントギター用に書かれた楽譜も
同時に購入してあったので
私が20代の時に実家に帰った時に
初めてレキントギターを
触った私が2日間ほど練習して
父のギターと合わせたものです。
ギターと音程が違うので四苦八苦した
覚えがあります。
ちなみにバックの背景に咲いている
バラは我が家のバラです。
2曲目のアングスティアは父の
十八番でどこかで
歌ってくれと言われると必ず
この曲を歌うほど
お気に入りの歌でした。
小学生時代にクラシックギターを
やっていた私は
しばらくギターを辞めていたが、
高校時代になったあたりから
父の伴奏を頼まれ再び弾くようになり
指が痛くて悲鳴を上げるほど
何曲も弾かされたものでした。
定年を迎えるまでは父は
一般のサラリーマンでしたが
仕事を辞めてからはよくラテン会という
名前でうちで有名なミュージシャンを
呼んだりして
母が料理を振る舞い、
20人以上家に来て
みんなでラテンを歌ったり踊ったりした
賑やかなパーティをしていました。
結婚式に呼ばれてそこで
歌う時も仕事の合間を縫って伴奏係に
私も駆り出されたこともありました。
晩年は父の通うデイサービスの
老人施設で時々
皆さんの前で歌ってくれと
頼まれ何回か伴奏しに
行ったことがありました。
あまり合わせるヒマもなくほとんど
ぶっつけ本番のような形で
大勢の前でよく演奏したものでした。
ラテンばかりだとお年寄りには
馴染みがないかと思い、
ふるさとやの日本の曲、枯れ葉等も。
その中でラテンの曲は私は歌うのは
苦手なので英語の曲で
一曲だけハモったことがありました
それがこの峠の我が家です。
これも一回だけ合わせて試しに歌い、
2回めに私のスマホで
録音したものをバックは
シドニーに行った時の
写真を背景に使いました。
もう耳も遠くなっていてほとんど
会話も通じない状態だったのに
何故かギターの伴奏を聞き取れて、
音程もしっかりしていて
弾いている私もびっくりしました。
亡くなる1年ほど前にはさすがに
もうギターを弾いても合わせて
歌うこともできなくなり。
もっとこうなる前にちゃんと
スマホにでもたくさん録音しておけば
よかったと後悔しています。
老人施設で歌った時のビデオはちゃんと
撮れていてそれは
今となっては大事な記録です。
今日は父を偲んで料理関係は
載せていませんが
また先日、百か日の法要で実家に
帰った時のことや
最近の料理をまた載せますので
またお付き合いください。