2日に実家に帰省し、次の日の3日は中学時代の同窓会へ。

 

全学年の同窓会だったので150人ほど集まり、懐かしい面々と

 

会った。

 

皆さんはほとんど小学校からの知り合いで小学校は7回も転校した

 

私のことはあまり覚えてる人もいないのかもしれないと思いつつ参加。

 

中学在学中は その間二回引っ越しはしたがかろうじて卒業までいられた。

 

3年のクラスの席に案内され、そこにはさすがに皆さん覚えていてくれて話が

 

はずんだが。しばらくしてみんな自分の席から動きだしてあちこちに

 

ビールをつぎに来る人でウロウロ動き回り始めた人の中に1年の時の男子が

 

私を見つけ。Mさん!!8組(私の1年の時のクラス)の〇〇君達があそこに

 

たむろってるから会いに行こうと誘ってくれた。

 

行ってみるとむこうから「おお!!懐かしいMさん!!」と握手をしてくれ

 

聞くと今は近畿大学の教授をやっているというY君はよく放課後に二人で残って

 

宿題しながら色んな話をしていた人なのだが、その時に私が話した不思議な体験を

 

今でも教壇で話をしていると言ってくれた!!

 

当時なぜか私はギターを持って行ってなんどか皆さんの前で弾いたらしく、

 

それでギターに目覚めて弾き始めたと言ってくれた人に数名会い。

 

自分では覚えてないのだが、何人かに弾き方を教えてあげてたらしい。

 

その時の記憶が全くない。。ww

 

そこから音楽に目覚め作曲家になった男子もいて、映画の曲をつくって

 

エンドロールにもその名前が出ているらしいびっくり

 

会う人会う人にギターのことを言われ、そんなに弾いてたのかな???

 

しかも学校にギター持ち込んでいってたんだ。。とびっくり!!

 

家から中学までは40分も歩いて行ってたのに抱えていってたのだろうか???

 

その時弾いてた曲は多分これ。

 

小学校の時に父の転勤でブラジルのサンパウロに6年間いて

 

その時にギターを習い この曲が一番のお気に入りだったので弾いてた。

 

高校時代にたまたまカセットデッキでテープに録音したのを

 

CDに焼き付ける事に3年ほど前に成功し、民話をもとに作った曲で

 

日本語の詩は自分で民話をもとに訳詩を作った。

 

バックの絵はその森のイメージをネットで見つけて貼り付けてみた。

 

 

 

ブログには2度めのアップです。

 

その4日後には小学校時代の同窓会もあって出席したが

 

小学校は日本に帰ってきたばかりで1年しか在籍してなかったのに

 

毎回呼んでくれる。

 

そこでも私はギターを皆さんに披露してたらしく、

 

6年生の生徒だけでやるかくし芸で舞台の上で足をすっと組んでギターを弾いている

 

姿がとても大人に見えたと。

 

当時6年生でもうこの身長165センチあったので大人っぽかったのだと思う。

 

この2つの同窓会も終わりまでいれなくて帰りは急いで帰って

 

実家にいた7日間。 父の介護にいそしんでいた。

 

頭が少しはっきりして来た父は歩けないのにトイレは行きたいと何回も

 

車椅子に乗って連れて行き、トイレに乗り移る時に何回もコケてしまい

 

支えきれなくて一緒に転倒してしまい腰を何度打ったか。。。

 

175cm.64kgある父を支えるのは至難の技あせる

 

普段はショートステイにお泊りしているので家に帰って来たときぐらいは

 

わがままを言わせてあげようと色んな注文にも答えてあげて

 

起きている間は一日中「おーーいMおーーーいM」と私の名前を呼ぶ父に付き合い。

 

ご飯を食べるのも合間を見て食べるほど忙しかった。。

 

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食事はパンとサラダが大好きで2食はほとんどパン。

 

ステーキが大好きなので神戸牛を売って店まで走って買いに行き

 

夕飯はステーキニコニコ

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この肉を母と父が半分こ。

 

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自分でお箸を使って食べれるまで上半身の動きは良くなった。

 

 

ある日は鯛のあら煮を煮てあげ、タケノコを煮てあげて

 

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和食のご飯も。

 

父が寝入ってからでないと私もご飯が食べれなかったが

 

母が手伝いにくる私にせめて美味しいビールで癒やされて欲しいと

 

注文していてくれたビールを毎晩飲むのが楽しみ爆  笑

 

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毎晩違う味が楽しめてこれが最高だったな〜heart

 

帰る前の日。母が父に明日 私が帰ってしまうので父にもまた明日から施設に

 

帰らないといけないのよと話しをするとあの威厳のあった父が涙を流して

 

戻りたくないと訴える。。あんな所には二度と帰りたくないからどうにか

 

家で介護して欲しいと訴える。

 

その晩は興奮してか何度もそれを訴えて寝たと思ってもベッドから抜け出し。

 

歩けないのでいざりハイをして隣にいる私達がいる部屋にまでハイハイして

 

出てきてしまってそこで寝てしまうと大変なのでベッドに戻そうと

 

父を抱えようとした時に私の腰がボキっと鈍い音がし。

 

私はもんどり打ってその場に突っ伏してしまった。。

 

もう立ち上がれないのではと思うほど激痛が走り。。

 

でももうウトウトし始めた父をどうにかベッドに。と思い。いつもは

 

父の世話をする時に巻いてる腰痛ベルトを急いで装着し、どうにかベッドまで

 

父を運んで行った。

 

次の日は朝起き上がれないのではと思ったが湿布をハリまくり。

 

寝る時も腰痛ベルトをすていたせいか靴下を履くのはすごくきつかったが

 

立ち上がればどうにか動けたので無事その日も洗濯や父の食事の

 

世話をすることができた。

 

夜中帰りたくないを連発していた父にそんなに今いるところが気に入らないなら

 

明日 ケアマネージャーさんに相談してもう少し小規模で目の行き届く所を

 

探してもらうから次のところが決まるまでは今のところで我慢してねと

 

いうと本当は家にいたいけどそこまで言うならしょうがない。我慢すると

 

納得してくれた。

 

家をでるときはおとなしく迎えに来てくれたスタッフに連れられてうつむきながらも

 

出ていった父を見るとまた胸が痛くなった。

 

 

ケアマネージャーさんがその日のウチに候補をしぼってくれて

 

今度の金曜日には妹に頼んで母を見学に連れて行ってもらうことになり

 

今度の所は気にいってくれるといいのだが。。

 

音楽の好きな父は今や好きなCDをかけてあげても途中でもう雑音にしか聞こえないと

 

聞くのをやめてしまうのに私にギターを弾いてくれというので

 

上に貼り付けたこの道という曲ともう一曲弾くとしばらく口ずさんでいた。

 

去年の11月までは一緒にラテンの曲を歌ったりしてたのに急な変化に

 

悲しくなる。

 

2年前に父と二人でデュエットした曲をもう一度アップします。

 

 

バックの写真は一昨年シドニーに行った時の写真を貼り付けました。

 

このデュエットはほとんどぶっつけ本番でスマホに試しに録音したものです。

 

この時はまだ音程もとれてちゃんと歌えてたのにな。。

 

と思うと涙が出そうです。

 

私の腰は今も腰痛ベルトをし、湿布を貼りまくり

 

 帰って来た次の日から土曜日まで仕事を休む訳には

 

いかないのでだましだましやっています。

 

寝る時が1番痛くて横になるのが恐怖ですえーん

 

土曜日は大事な仕事が入っていて本来なら部長が

 

出てきてする仕事を代理でしなくてはならず、

 

人前で挨拶をするのでせめてこの、へっぴり腰で

 

ないと歩けない所はどうにか土曜日までには治さ

 

ねばアセアセ