こんにちは!^^
ROJEの一年生の学年旅行から無事生還してきたところです(笑)
2泊3日で長野県の諏訪郡八ヶ岳というところにいってきました。
実は私の入っているボランティア団体は、関東と関西に事務局があるので、
関西の1年生も合流して、合計20人以上もの人数で合宿に参加できることができました。
私はROJEに入って約半年しか経っていないのと、特定のプロジェクトの運営部に入っているわけではないので、友達がそんなに多くはなく、なじめるかどうか少し心配だったのですが杞憂に終わりました。
みんなとっても優しくて、ひとなつっこくて、とても暖かい人たちばかりでした。
私は今回の合宿で一応企画メンバーとして合宿に携わっていましたが、
正直五月祭や新歓の会計、それから月次のプロジェクトの決算や、ROJEとしての助成金申請のためのインタビューなどに追われ、ほとんどコンテンツを考える時間がなかったですww
そのため、合宿当日ぶっつけでコンテンツを考えていこうという浅はかな気持ちで臨んでしまいました。。。
が、やはり予定を考えるということはかなり重要であるということを痛感しました。
予定をつめれていなかったので、運営としては余った時間を宙ぶらりんにしてみんなに持て余してしまうような状況に何度かなってしまった事を深く反省しています^^;
さて、最近よく考えるのは、今年の五月祭の教育フォーラムのテーマでもある、「公教育について」です。
ざっと今勉強している教育の現状について記述します。
夜中にだらだらと書いてしまっているので論理が飛躍していたり、教育の専門家ではないために誤った知見を述べていたりすることがありますが、ご了承ください。あくまでメモとして。
さて、公教育というのは、国民の税金によって払われています。
公金が財源ということは、それなりに社会への恩恵を期待しなくてはならないわけですが
国家は一体どんな人間を欲しているのでしょうか。
めまぐるしく変化するこのグローバルな社会状況の中で、今まで通り、ただ知識を蓄積するためだけの勉強法が最も教育にとって有効なのでしょうか。まったく予測のできない常目まぐるしくかわる環境の中で、その都度正しい解を「自ら生み出す」力が必要とされてきているのではないでしょうか。
国家の求める人物像は、確実に変化してきています。それを最も痛切に疑問視したのは、学校現場で働いている教師たちでした。教師たちこそが、現在求められている教育の質が確実に変わってきているといことを感じるようになったのです。
そして、それに応じようとして、政府は議論をすっとばして公教育に英語の徹底を促すのです。
小学校に規定の英語の授業時間を設けて、土曜日の朝や夏休みを利用して小学校は英語の授業をするようになりました。
私のボランティアに入っている小学校では、土曜日の授業は無給でやっていると教師の方から聞きました。
英語に限った話ではありません。科学的な思考を養うためのロボットサイエンス授業、実験授業などの塾が増え、そういった科学的リテラシーを伸ばすために、理科実験を試みる教育も公教育で必要ではないかと議論されるようになってきました。まさしくそれは、答えのないものに対して「自ら積極的に探究する」というプロセスの重要性に基づいた要求なのでしょう。
このように、現在公教育で求められる子供たちの必要なスキルは非常に多様化していて、求められる事項が肥大化してしまいました。
それでは、公教育で必要とするのは社会に出たときに必須である「コミュニケーション能力」を重視して、それ以外の一般的な学力を伸ばす教育現場を、公教育ではなく外部の民間企業に任せるのはどうか、と主張する者がでてきた。しかしそれに対しては、親の経済状況による、教育に支出する資金の違いにより、結果的に教育格差が進行してしまう懸念がおおいにある。
現在公教育が何を提供すべきなのか、多くの求められる必要事項の中で本当にこれだけは公教育が担うべきスキルというのはなんだろう?
というのが、最近私が延々と考えていることです。
公教育は、おそらくほとんどのひとが通る道です。
選択することもなく「義務」として通ってきた道です。(本来義務ではなく権利であるべきですg、これを語りだすとまた話が長くなる)
その過程の中には、自分では身に着けたくなくても無意識に息づいてきた感覚、言い換えると社会の中での価値観というものがあるとおもいます。
わたしはその、社会的な価値観、というものが公教育にとってもっとも重要なことなのではないかと個人的に思っています。それは、人と人との不和の中で覚える「信頼の大切さ」であったり「責任とは何であるか」であったり、細かく言うときりがないですが、これらの倫理観は、社会に出るための必要条件であると思うし、例えば高等教育を受けない人間にとっても必要な要素になってくるのではないかと思っています。
もっと具体的に自分の考えが述べられるようになればいいのだけど・・・^^;
まだこのような抽象的な段階ではありますが、ひとまず今勉強してきた段階で私が思うのは「公教育では社会的に必要な倫理観を備える段階にある」ということです。
ただ一方で、これは教育を授ける側の観点からしか議論がなされていないのですが、
教育を受ける側の子供たちの観点を考えなくてはなりません。
子どもたちの幸福のための教育、という考えも、同時に非常に重要になってくると思います。
教育は、ある程度政治と切り離されて独立したものであっていいと思いますが、
そうはいっても、教育の財源は政府から出ているのであって、そこは確実にかい離できるものではないと思います。
社会から求められている価値観をある程度備えることのできるような、社会的観点からみた教育の方向性と、
子どもたち自身が、ただ生きているこの瞬間瞬間を「幸福である」とか「楽しい」と感じられるような、目的などないただ独立した子供のためだけの教育、という考え方も、両面必要になってくると思います。
メモとしていったんおわりにします。