長らくわたしは

わたしの心と身体を
置いてけぼりにして

自分とも人とも対話を
避けてきたからなのか?



言葉でわかったつもりになってた
ことが、


さいきんは体感して、ようやく
「そうゆうことだったのかあ〜😳」
とわかることが増えてきた。



わたしにとって良いこと、なんだけど
「いまさらかよ」と
かなり出遅れてるのをちょっと
恥ずかしくも思ったりもして。。

(けど、地上のなまけもの🦥並みがわたしのペースなんだからしゃあない)





たとえば、さ
「期待を手放す」て、言葉があるでしょ?



さいきん実感したのが、


オットにわたしのハカトレを報告して
思ったようなリアクションをもらえなかったとき。




その日わたしは一人で
近所を5600歩あるいてまわり、
苦手な道にもトライしたんだよね。

いつもの朝さんぽは2000歩前後だから
だいぶがんばったし、
お守りの自転車も置いてってた。


わたしにとっては大きな進歩で
誇らしかったんだ。



だから、

冬のあいだわたしが散歩にいけなくなった
数ヶ月を知ってて、


リハビリに付き添ってたオットなら
きっと「すごいじゃん!」「よくがんばったね!」
と喜んで労ってくれるにちがいないと
内心期待してた。😂




けど、オットは「ふーん」て感じで
すぐ他の話題にうつってしまって、

わたしは肩透かしのような、え?てなったし
さみしいような、不安なような、なんかモヤついた。



「わたし頑張ったんだよ?すごいとか、よくやったね!とか言ってほしい」

て、伝えてみたものの、

「スゴイネー、ガンバッタネー」
とオットに棒読みみたいに言われて

余計にそうじゃない、、とモヤモヤ。。



で、しばしモヤったあとにハッと
「これが『期待』かー!」と、


相手にあらかじめ「こうあるべき」と
リアクションを期待して

型はめから外れたらガッカリしたり
怒ったりして、

相手を思い通りにコントロールできないことに
モヤモヤして不快な気持ちになってる。


これが「期待」で「手放そう」てことなのね!


(うまくわたしの言葉にできてないけど、ざっくりね)


それは、わたしの「不安」を
相手にどうにかさせようとしない、でもあるし、


相手は相手のままでいるのを尊重するということでもあるのね。


と、なんとなくですが!



で、
よく考えたら、

そもそもオットは共感が苦手で、
忘れっぽく、感情を言葉にしたり、想像することは
不得手なのよ。



それをすっかり忘れて

いきなりわたしの思い通りのリアクションを
求められたオットは‥さぞかし困ったでしょう😂



型はめで期待してこうあるべき、て

自分にとっても相手にとっても
しんどくなる。

要望でコントロールしようとしても
それは相手の心からの言葉じゃないから

もらっても期待どおりにはならない。


(伝えるなら自分の素直なきもち、だね)


だから、そうなった時に、
気づいて立ち止まって
ほんとにいるのか?考えてみる。

いまの身体の感覚をじっと観察してみる。


なんかちがうなと思ったら
その考えやめてみようかなって
ちっちゃく決めてみる。


などなど。



とまあ、こんな感じで
頭でっかちにわかったつもりのことを


身体で感じながら、学び直してる?
今日このごろであります。