【夜の2記事め】



今朝、ベランダに洗濯物を干そうと
寝ている夫の部屋を横切ったら


(うちは夫の部屋にベランダがある)



布団がくしゃくしゃして夫の背中が出てる。

寝返りを打ってるあいだにズレたんだろうね
なんだか寒そうに見えたので
ちょっと失礼、とかけ直してあげた。



寝ぼけて「やさしいねぇ‥」と
ふにゃふにゃ言ってる夫をみて

これは母のしぐさ、だったなぁと
わたしは思い出す




幼い頃から記憶にあるかぎり
母は寝るとき、わたしに布団をかけ
体に沿うようにぽんぽんと押すのが
常だった


冬は寒くないよう
足元はくるっと毛布を敷布団に丸め込んで
くれる。わたしがほっと安心する愛情のしぐさ。




それは時にゆきすぎて

小学生のころ、夏風邪をひいて寝込んだわたしは心配する母に手袋や首をタオルでぐるぐる巻き、分厚い毛布をかぶせられ、
あやうく熱中症になりかけたこともあったけど。


(その頃はネットもなく熱中症ってことばも浸透してなかったと思うから、母がただ必死に看病しようとした結果なのは今はわかる)



そうなんだよね。
わたしが母から悪意や意地悪、過干渉かと思えば無関心、罪悪感を受けとった(と思い込んだ)ように


わざわざ言われなくても
無意識に「愛情」と認識して
おんなじようにしぐさで表しているものがある。
からだにきざまれ脈々と受け継がれし伝統。





風くんの歌詞でも
「与えられるものこそ 与えられたもの」

て、あったよね


どんなものでも与えられてきたものが
自然と自分からにじみでているのかもなあ




悪意解釈にまみれてるわたし。

それでも、もし
全部がぜんぶ、愛情だった
って思えたら?


どうなるんだろうか。