Megさんの話で

母のご飯のことを思い出した。




わたしが小学生のとき、

両親は共働き、で


学校から帰ってくると

食卓のうえに


夜の出勤前に

母が作ったご飯が置かれてる

のが、日常だった。




で、なぜだかね、おかずと一緒に

ご飯もよそってあって、


とうぜん時間のたった

ご飯はお茶碗で

カピカピにかたまってて


わたしはひとりで(もしくは姉と)

さほど疑問ももたずに

「かったいなあ」と食べていたんだよね。




あと、

夏場でも、テーブルに

こんなカバーだけで、

おかずがほんのり酸っぱくなってて、笑

なんかお腹の調子悪いな、て

こともあった泣き笑い笑笑




はい、そんな食卓の記憶。で

こらこら、母ちゃんよー


とズボラで大らかすぎる母を

長年、批判していたわけですけどもー。






Megさんのブログと

お話きいて



あ、もしかしたら


お母さんにはこうゆう想いが

あったのかも、と考えた



「子どもにじぶんが作ったものを

食べさせたい。」


「ご飯もじぶんの手でよそってあげたい」


「すこしでもさみしい思いをさせないように

ぬくもりを感じさせてあげたい」


「お腹をすかせて帰ってくる子に、すぐ食べさせてあげたい」


「火やレンジを使って危なくないよう守りたい」




そうだったのかもなあ




と、愛情ベースで母の行動を

考えてみたら



やっぱお母さんの愛情はあったよなー



なんかそう思えた。





たとえ、カピカピご飯であっても

時間がたってお腹こわすギリギリのおかず

であっても、ね笑笑



(母が忙しくて余裕なかったのも

あったんだろうし)



と言いつつ、


カピカピライスはもう

ノーせんきう、ですけどもー笑笑



でも、

想いはちゃんと、あったんだなと思えた。


(こんど、お母さんに詳しくきいてみよっと)




愛情は探せばあるもんだ


すぐ見えなくなるからこそ

いつでも、探し続けたいねー