感覚的で
まだ言語化できてないけど
書いてみる



書くことで
わたしは癒やされるひとだからね




さみしいなぁ
さみしいなぁ…

そんなつぶやきでは
処理しきれないくらい

数日前のわたしは
さみしさ、にまみれていた



夫と話すだけでは
埋められない、他者とのちがう交流
に飢えていたんだと思う



でも、
声サロンをひらいてみようかと
思えるほど、気力はなくて

安心できる人たちを
思い浮かべてみては

謎に事情を想像して、やっぱりやめておこう…
と躊躇してた



つまりは脳内でひとりで勝手に
可能性をつぶしては、
またひとりで勝手に落ち込む、

という
コントを繰り広げていた。


で、

もうどうしようもない、から
脳内のわたしは
あきらめることにした

「このまま、さみしいまんまで
いよう」


一見、悪手
と思える行動。(わたしには)

たぶん、そのまま沼への片道切符に
なってるはず、だったんだけど…



でも、
ここからは、
うまく言葉にできないのだけど


あきらめた、わたしが感じたのは、


ただの「さみしさ」だけだった


さみしさ、そのもの、だけだった



胸はキュッとして、
今だれともつながってないわたし、
ひとり、で「さみしい」


でも、
それだけ


苦しみも焦りも、なくて

ほんのりと不安は感じるけど
おだやか、でせつないような気分を
ただよっていて

外側からの声もきこえない


むしろ自分をいたわっているような感覚で


そのときは自分に

好きなこと、したいことを
させてあげたい、と


「さみしさ」を連れたまま

カフェで「何しようか」
メモに書き出して

ひとつひとつ叶えるのに動く時間が
いとしくて

なんだか安らいでいた



なんだったんだろうね。



結局、
次の日から今に至るまで
あった、

煩雑な手続きに
パニクって、夫に八つ当たりやら
謝罪やらをしてるうちに

この感覚は消えてしまったのだけど
…😂笑笑




思うに、


今まで「さみしさ」や「悲しさ」

ほかのネガティヴな気持ちを
感じたくなかったのって


一緒に、人への妄想や、「べきねば」のマイルール、未来や過去からの不安、

がくっついてきて

わたしを責め立ててくるのが
苦しくて、怖くて、嫌だったから



なにもない、「さみしさ」
は、ただの「さみしさ


事実、と、感情、が

目の前に、アル

それだけ。


さみしさ、と、疎外感(仲間はずれ)を
取り違えてたのも、ある。



みんなは、みんなの日常を
生きている

そこにわたしがたまに
交わることも、ある。

わたしは、わたしの日常を
生きている

そこに誰かが交わってくれる、
ことも、ある。



ただ、さみしい

ただ、悲しい

ただ、苦しい

ただ、ムカつく

ただ、不快


ネガティヴな感情への
わたしのつきあい方


妄想のない感情は

ただの感情


また実験、実験