気づいたことを
ただ書きたい。




わたしね、
『考えすぎ』な自分を
ダメなものにしてきたなー。て。




そこをさ、
某ひきこもりGのCはる氏は

「慎重」で「丁寧」と
称してくれるのだけど、



わたしは、

「こだわりが強くて」「頑固」
「うたぐり深い」「面倒なひと」

と思ってて
(ま、それもそれとして、あります)



なんなら、

ひとの裏考える、やなやつだし、

まわりにメーワクでしょーがー!


納得いくまで作業がすすまない、


(でも、時間が決まってるから無理やり形にはするけど、違和感はそのままでストレスだったなー)


人間関係もいちいち、一個一個気にする、


サラッと流してパッと切り替える、
なんて、できんかったし


何個、仕事変えても、長くは
続けられんかった。


時間で区切られたなかで、
コミュニケーションも仕事もすんのも
きつかったんよなー。




「考えすぎ」のおかげで


被害妄想を、壮大な長編ムービーに
コツコツ育てあげたしさ。


それで自家中毒?自分で自分を責めて
相手も責めて


パニック症と軽鬱、拒食にもなって
苦しんでたじゃない。



考えすぎ、てロクなもんじゃないよね。



そうそう

過去にもあの人やあの人に

「考えすぎ」「気にしすぎ」て言われたよ?


あれは、よくないニュアンスで
わたしを否定してたんですよね?(妄想です)




…まあ、このやべぇ妄想たちはさておき、

(置かせてください)



それぐらい、悩んでバツつけて
できることなら、なくしたくて。


もっと軽やかにライトにシンプルに♪


そう見える人たちが、うらやましくて
まぶしくて。



真似してみようと頑張ってみても
うまくいかなくて。


落ち込んで。



いちいち思考に時間を費やすのを
やめたかったなー。



1発1発を重めに出すし、
1発1発を重めに受け取りすぎる、



相手が受けとめられる球を
加減して投げる、なんてわからなかった。


相手の球を受け流す、なんてできなかった。



人間関係もうまくいかないこと
多すぎて、疲弊して


病気と結婚を機に、ひきこもった。


とにかく、

わたしは、こんな自分が嫌で苦しくて、
変わりたかった、変えたかった。





はい、それでね、


Megちゃんに出会って、
ツキイチや、ひきこもりゴールドに
参加して、少しずつ少しずつ、


思い込みはとけてきて
自分の性質も、認めはじめてきた。


でも、やっぱり、「考えすぎ」なことは、
あんまり良いことではないよなー。と
まだ、思ってたんです。



それがね、


きのう、またパカンときました。




気心知れた人たちと


おしゃべりしてて、

わたしがここ最近、気づいたことを

つらつら話させてもらってたんですよ。


(わたしが考えすぎる、説明が長い、妄想が強いことをよく知ってて付き合ってくれる信頼の仲間たち)




そしたらね、なぜかそのことを


そこまで自分と対話してるの、すごいね


て言ってもらったんです。




わたしからすると、


みんなはここまで考えなくても
たどり着ける(と思ってる)


ところを、


わたしはこれぐらい頑張らないと
たどり着けない、


不器用だなー。遅いなー。


でも、頑張って、ようやく
みんなと同じ景色見れるように
なってきたんかもなー。


くらいに思ってたことを、



よく対話してる、て、褒めてもらって、ね。



すっごくビックリして
動揺しちゃったんだけど、笑




あ、そうか、、これでいいんだって

気づきました。




あのー、うまく言葉にできないんだけど。。
(考えを文章にまとめるの、不得意)



ざっくり言うと

2割?自然にやっちゃうこと?
努力しなくても、できること。


欠点(だと思ってる)のなかに
キラッと光る宝がある、みたいな、ね。



ダメだ、ダメだとバツつけてるところが
チャームポイント♡て、


もしや、これではないでしょーか?

(雑か笑い泣き




今までは、

わたしの「考えすぎ」パワーは


妄想、人への見張りや分析、
批判、ジャッジ、わたしのゆがんだ正義、
常識、自責と他責、、etc


ネガティヴメインで使われていました。

(ネガティヴが悪いことではないけどね)




それを今は、


ネガティヴも妄想もあるまんま、

感じたことをただ出す、(相手と)わたしに起こった、事実だけを見る、自分の気持ちを知る、

お互いに愛情のあるもの同士だったら、どう解釈するか?

【わたしは】どうしたいか?(どうしたかったか?)何を言いたいか?(言いたかったか?)


…etc


とにかく、ひとりで時間をかけて

ひとつひとつ見ていって、


思い浮かんだらどんなことでも書いて
書いて書きまくって

嫌な気分になったら手を止めて


ときに、仲間にきいてもらって、
別の角度の考えをインストールして


何度もなんども繰り返してるうちに
ある日ふっと、「答え」が降りてきて


わたしが納得してスッキリ、楽になってた。


そのあと、相手がいれば、
なにを伝えるか、伝えないか、を
ハッキリ決められるから、

人間関係がすこし、(ほんとすこし、笑)

怖くなくなってきた、(かも)




答えに行き着かないときもあるけど、

【保留ボックス】にいれて

また降りてくるまで、待ってればいいやー。


わたしはわたしの体感を
信じたらいいよなー。と、



なんかこう、

まだ細くとも根がはりだしたような

そんな感覚がめばえてきた。




そっかー。平たく言うと

わたしの考えすぎパワーは

自分の気づきに向けてあげると、


めちゃ活かされるんだねー。


(はしょりすぎ、だろ)






それに気づかせてくれた
C氏、T氏、にはほんとありがとうを
伝えたい。


いつもいつもお世話になってます。



24時間のうち、4分の一を

一緒に過ごしたい、
おたがいに時間をシェアしあえる、仲間と

いられること。


ほんとしあわせだなー。て思う。




いつも、気づかせてくれて
ありがとう