本日2記事め
↑ここから気づいた
『わたしのまんなか』は


●まず死ぬとき
どんな自分でどんな人たちに
囲まれていたいか? のイメージから


『わたしも相手も腹をわって話し合って
お互いをさらけ出し合ったひとたちに囲まれて
最期をむかえる』


これが理想。だって思いました。



わたしは
人がどんな考え方や感じ方をするのか?
すごくすごく興味があって、知りたいんです。
(誰かれかまわず、ではない。そこに好みや興味がないことももちろんある)


ドラマやドキュメンタリーを観るのが好きなのも

人の感情表現やこまかな仕草や、
考えが言葉に表れる、声にのっているのを観ると

その人の一端に触れた感じがして感動するから。


(「突然ですが占ってもいいですか?」をよく観てるのも、ゲストの内側に触れたときの素っぽいリアクションを観るのが好きだから)


ま、わたしには本当かどうかなんて
わからないんですが。。笑笑😅


興味と好奇心が先にたつ。
しかも、ちょっと遠目で見てる感じ、
なので、なんかヤなヤツかもしれない。。


あ、話がそれた。


で、
好きもキライも
良いところも残念なところも

どんなことを感じて
どんな風に生きてきて

どんな考え方をしてきたのか?

お互いに知り合って

ケンカもして、
険悪にもなったりして、

それでも一緒にいられる相手と

最期は「もうこれだけ伝えきった」

「なにも思い残すことはない」

と思って去っていく。


そうで、在りたい。


ああ、
こう書いてて
いまわたしが中心に置くのは
『安心感』なんだなあ、と思います。


よくわからない相手と
よくわからないまま
何考えてるのかわからない‥て
思いながら、死んでいきたくない‥

なに考えてるのかわからない、人
がとても苦手だしね。


(たぶん、わたしも相手からなに考えてるかわからない人だ、と思われてるかもだしね!
やだあーー😂笑笑)


だからこそ、
最期のときまでに
ガチンコで、見せ合いたい、さらけ出し合いたい
そんな相手がいい。

なんだか、河原で殴り合うヤンキーのイメージ(古い)が出てきたわ、なんか熱すぎて違う😅

ここは練り直し練り直し


そこまでして、わたしは
安心して逝ける、安心できる相手に囲まれて。

と、思いましたよ。


それは誰なのか?
いまだと、夫、母、姉、かな?

そこに向かっていくには?
わたしはどうしたい?
「きもち」「からだ」「あたま」は?

やっぱりベースは愛情ではなかろうか?


ここもじっくり考えてみたいところ。

『まんなか』も変わっていくもの
だろうし、ね。

ひとまず、
いまのまんなか、はここ。です。



おしまい